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《北斎の春画》と《ピカソのエロチカ》

下の作品はニョウボの佐藤順子が描いた《北斎春画オマージュ》のシリーズの一部だ。他にもTwitterに添付したものがあるから「画像・動画」で見て欲しい。


もともと、ニョウボは北斎の春画に興味があったわけではない。ただ、エッチングの下絵のために、『北斎漫画』をときどき模写して楽しんでいた。そのうち油絵の大きな作品を描くには、ヌード・デッサンが役にたつと、デッサン・スクールに通い始めた。それがヌード画に興味を持つきっかけだった。日曜画家はヌード・デッサンを熱心にするけれど、ヌードそのものを画題にすることはあまりない。ニョウボは気に入ったデッサンが描けるとエッチングや油絵にしていた。

そのうち、ダブル・ポーズのデッサンもやってみたくなった。しかし、そんな便利なデッサン教室はなかった。ちょうど、その頃、「春画ブーム」のようなものがあって、いつの間にか春画が解禁になっていた。人気があるのはもちろん歌麿だったが、ニョウボは何が何でも、北斎が一番なのだ。彼女に言わせると、歌麿は着物の下の手足をごまかしているけれど、北斎の手足は着物に隠れていても、正しいところにあるという。もっとも、ときには、女のものか男のものか、定かならぬ手足が、とんでもないところから出ていることもある。

その他いろいろな事情が重なって、それならいっそうのこと北斎の春画を借用して、《Double Nude》を描いてみようと思い立った。北斎の春画はデフォルメされているし、着物で肌が隠されているので、それを脱がせて、ヌードにしてやると、ひどくまともなDuetの裸体画になった。もちろん、誇張された性器は修正するが、修正したからといって、春画としてはともかく、ダブルヌードとしての面白さがなくなるわけではない。北斎漫画のデッサンの才能はそのまま北斎春画にも生きているわけだ。ダブル・ヌードといってもギリシア的な美しく均整が取れた裸体画ではない。あくまでも、人間への愛と優しさに満ちた『北斎漫画』の世界だ。ニョウボの線と北斎の線が共振して、新しい世界が誕生した。

『春画』は西欧のエロティックな絵画とは別のものだ。春画がいくら芸術的な作品だといっても、不特定多数の客を相手にする出版業である限り、ポルノグラフィーには違いないけれど、西欧のポルノグラフィーのようなエロティックなものではない。西欧のエロティックな作品にはピカソやヤンセンなどの「ポルノグラフィー」とは区別された「エロチカ」がある。エロチカと春画の違いを一言でいえば、エロチカは神話や文学を題材にすることが多く、性は基本的に男と女の争いなのだ。なかには物語の挿絵として「レイプ」の場面もある。それに対して、春画の性は争いではなく、お互いに楽しむものであり、書き入れを読めば、男女の間に闘争はなく、どちらかと言えば、女のほうが主導権を握った「遊びの世界」である。女が男を叱咤激励しているものも多い。もっとも、女が強いというのはフランスの艶笑譚の世界も同じだろうし、そのまま受け取る訳にはいかない。しかし、西欧の宗教的禁忌が強い世界で、芸術家の性的倒錯の危険を犯した作品ともなれば、そこにはやはりいかほどかの覚悟があるだろうし、どこか暗鬱で孤独な雰囲気があるように思われる。

「北斎春画」は「北斎漫画」の別冊付録のようなもので、森羅万象を描いた『漫画』には唯一欠けている「性」が描かれている。北斎春画の世界は決してエロティックな世界ではない。そこには人間の生きる歓びが描かれている。マチスの《La joie de vivre》の世界だ。『北斎漫画』の圧巻は江戸という都会の普通の人々の生活を写生したもので、まことに、北斎はボードレールが『美術批評Ⅱ』で書いた『現代生活の画家』、すなわち、モデルニテの画家なのだ。北斎春画の「書き入れ」を日本文学研究者のリチャード・レイなどはせっかくの浮世絵の芸術性をだいなしにしているというが、春画はサブカルチャーであって、ハイアートではない。

エロティスムはタブーから生まれるとしたら、性的タブーの希薄な江戸にエロティックな芸術が生まれなかったのは道理だ。明治になって、さまざまなタブーが出来たが、「ポルノグラフィー」はあるが「エロチカ」はないという状況がつづき、またぞろ、『大英博物館』の権威と、今度は『永青文庫』のおまけまで付けて、「春画は芸術だ」と美しい歌麿のポスターで女性客を集めている。

西欧流のエロティスムを探求している例外的な作家が会田誠だ。会田さんの驚嘆すべきところは、一方で、SMや反フェミニズムの作品を描きながら、他方では、チャイルド・ポルノに誤解されるような「美少女画」を描いて欧米人を挑発していることだ。今のところ相手にされてはいないようだが、日本の現代美術家が海外で認められるために、「戦略的ジャポニスム」しか方法がないなかで、あくまでも日本の近代絵画の伝統を受け継いで、日本画と洋画の総合を目指す会田誠の孤独な戦いに思いを致すのも悪くはない。

会田誠は「北斎中毒」というほどに、北斎の模写に熱中した時期があるという。ニョウボは《北斎春画オマージュ》を終えて、想像で春画を描く練習を始めた。




                                                                            

スレッド:art・芸術・美術 / ジャンル:学問・文化・芸術

2016.01.27[Wed] Post 18:30  CO:0  TB:0  北斎  Top▲

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