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会田誠の政治学改め文芸学(政治学後編):「村上春樹は私小説を書くべきである」(小谷野敦)

iPadでブログを編集して、上書きしたら、半分消えた。以下、思い出しながら書いたTwitterの下書をコピペしたものだ。あまりよくはおもいだせなかったので、繋がらない箇所もある。

①【会田家の《檄》】今日朝方目を覚まし、iPadで書き終えた 『会田誠の政治学改め文芸学(政治学後編) : 「村上春樹は私小説を書くべきである」(小谷野敦)』 のテニヲハを寝床で直して、上書きしたら半分以上消えてしまった。もう一度書く気力なし。思い出してメモしておく。

②【会田家の《檄》】:《檄》は、今回の修正撤去問題がなければ、《美少女》や《書道教室》と同じように、会田誠の《文字》シリーズの一つとして、これほどの騒ぎにはならなかったと思う。

③【会田家の《檄》】:ところが、《ビデオ作品》の会田誠が安倍首相そっくりだったので、ことがややこしくなった。そのころ世界中の左派勢力が安倍首相は極右政治家だとネガティブ・キャンペーンをしていた。それで《檄》の文科省批判が安倍内閣の反動的な教育改革の批判と受け取られたわけだ。

④【会田家の《檄》】:岡田裕子と会田誠の二人は、《檄》は「政治的なものではない」と言っている。二人は夫婦だが、「会田家」としては、親子三人の家族なのだ。とすれば、《檄》は彼らのいうとおり政治的なものではなく、教育をめぐるスラップスティックな家庭劇なのだ。

⑤【会田家の《檄》】:佐々木と会田の対談『スキャンダルからの足の洗い方』から。
佐々木豊: 「・・・太宰治が「家庭の幸福は諸悪の根源だ」と言った、小市民のモラルを憎んでどんどんいけるのか」
会田誠: 「・・・だんだん尖った表現はやらなくなってくると思います。でもそれは、家庭の幸福とかのためじゃなくて、ぼくの個人的な変化としてですけど。」

⑥【会田家の《檄》】:檄文は決起を促すもの、どちらかと言えば、「尖った表現」である。三島由紀夫の「檄」も自衛隊員に決起を促すものだった。しかし、会田家の《檄》は決起ではない。子供の教育問題でドタバタして、ただ、「文部科学省に物申す」と家族三人で不平不満を述べているだけだ。

⑦【会田家の《檄》】:三島由紀夫は家族を切り捨て、天皇陛下万歳と叫んで自決する。会田家の《檄》は決起を促すのではない。家族が家庭の幸せを願って、息子寅次郎に「檄を飛ばしている」のだ。

⑧【会田家の《檄》】:学校教育に対する家族の矛盾した不平不満を、国家のことでもないのに《檄》と称したところが「ギャグ」である。これが、《檄》はユーモアであって、政治的なものではないと会田さんがいう根拠なのだ。

⑨【会田家の《檄》】:しかし、そうはうまくいかない。檄文は主義主張を訴える文章である。そうであれば、どこの家庭にもある学校教育に対する不平不満であっても、サヨクの常套句をを避けることは出来ない。そこをサヨクは見逃さない。朝日の『若者、ママたち、SNS』のコラムを見よ。

⑩【会田家の《檄》】:会田誠は確信犯ではないかという疑いは残る。それほど劇的だった。しかし、修正撤去要請された二作品は、「ギャグ」であり、政治的なものではなかった。ところが、「安倍右翼政権打倒」の政治的雰囲気の中でリベラルが利用するのに好都合だったのではないか。

⑪【会田家の《檄》】:誤解されたにもかかわらず、会田誠はこの状況を楽しんでいるように見える。寅次郎を先に帰して、居酒屋で一人で飲んでいた父親が、親子でデモに参加している。もちろんこれは「社会を考える」ことなんだろうが。

⑫【会田家の《檄》】:会田さんは、家庭の幸福ではなく、個人的な変化として、だんだん尖った表現をやらなくなるといっている。年をとれば、ポテンツが減少する。「自家製自家用ポルノ」の画家としての出自をまっとうすることは出来なくなる。そこで会田さんの「隠遁癖」がでてくる。

⑬【会田家の《檄》】:《檄》はドタバタしているが、寅次郎くんに檄を飛ばして、家族三人結束して、「家庭の幸せ」だ。

⑭【会田家の《檄》】:《檄》の「会田家」と「新潟の会田家」は重なっている。中学生のときの自分の父親と、中学生寅次郎の父親である自分と重なっている。会田さんは『青春と変態』の次の小説を書きたいと思いながら果たせないでいると嘆いていた。それなら『会田家の人々』を書けばいい。

⑮【会田家の《檄》】:会田誠は『青春と変態』を書くことで、リアルの美少女を終えて、二次元の美少女に転換する切っ掛けにしたと言っている。

⑯【会田家の《檄》】:それと同じように、『会田家の人々』は、「家庭の幸福」から「隠遁生活」への覚悟を決める小説になる。会田誠は佐々木豊に言う。「ある意味でバルチュスのように長生きして、田舎のほうに引っ込んで、地元の美少女でも描きながら、幸せな晩年を過ごしたいとも思っています」と。

スレッド:絵画・美術 / ジャンル:学問・文化・芸術

2015.10.13[Tue] Post 00:01  CO:0  TB:0  -会田誠  Top▲

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