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東京オペラシティ東京オペラシティ(とうきょうおぺらしてぃ)は、東京都新宿区西新宿三丁目にある複合文化施設。.wikilis{font-size:10px;color:#666666;}Quotation:Wikipedia- Article- History License:GFDL .....続きを読む
2007.07.27[Fri]  発信元:『ホール』全国一覧。  

山内崇嗣

 山内崇嗣展(東京オペラシティ)★★★☆

 東京オペラシティの展覧会にはいつも新しい発見がある。といっても、私が無知なだけなのだが、たとえば、『シュテファン・バルケンホール展』を見るために、初めて此処に来たとき、収蔵品展で相笠昌義を知った。アーティストではないまっとうな絵描きに久しぶりに出会ったような気がした。
 収蔵品展と一緒に、新人を紹介する展示〈project N〉が、毎回、四階のコリドールで開かれている。山内崇嗣で27人目だというのだから、随分と息のながい企画であるが、見ている人はあまりいない。そのことをギャラリー側は知っているのだろう、切符売り場でも、3階の企画展の入り口でも、特に4階の収蔵品展の入り口では、〈project N〉もご覧下さいと念を押すのだが、なにしろ廊下(コリドール)だから誰もがすたすた通り過ぎていく。そう言うわたしも実は見なかったのだが、前回の『インゴ・マウラー展』のとき初めて〈project N〉をまじまじと見た。
 そのときの山川勝彦の『光を描く』は、傑作とは言えないけれど、作家がが何をしたいのか、分からないではなかったので山川の名前と一緒に〈project N〉が記憶に残った。
 そういうことがあったので、今回は建築の『伊東豊雄展』よりも、女房には内緒だが、ひそかに〈project N〉を見るのを楽しみにしていた。*
 企画展・所蔵品展をひととおり見終わって、さて、コリドールまで来ると、女房は今にも走り出しそうにしている。二の腕を捕まえて、「ちゃんと見なさい、つまらなかったらつまらなかったで、ちゃんと説明してもらいますからね」と念をおした。
 さて、肝心の山内の作品であるが、近頃はやりの薄塗りと塗り残しと彩度の低い色遣いの絵である。最初のいくつかの作品を見るだけで、山内がやろうとしてしていることが判る。キャンバスと絵の具と図形と図像の問題を探求しているのだ。しかもあらゆる方法で、あらゆる組み合わせを試みているように思える。見ていて眩暈がする。一枚の絵にあまりにも多くを詰め込み過ぎているのだ。そのためかどうか、粗雑な印象を受け、緊張感のある対立調和がなかなか生まれてこない。これは、VOCA展で見たのと同じ「図像のいじくり回し」ではないかという疑念さえ生まれる。
 しばらく眺めていると、一枚だけ目を惹きつける絵がある。タイトル(そのときは[作品サイズ+日付]がタイトルとは知らなかった)も憶えていないけれど、パンフレットの表紙になっている《03》番の作品が私の目を惹き付けたのだ。他の作品にはない纏まりがある。わざとらしさが無い。まったく無いわけではないが、先ほど触れた、キャンバスと絵具と図形と図像のそれぞれがバラバラのならずに互いに分を守って、絵画表面に適度な緊張をもたらしている。
 キャンバス地が剥き出しのところ、まだ絵具を塗っていない下描きのままのところ、絵具を剥がしたよう見えるところ、それから下の方には、黄ピンク灰色緑の絵具が試し塗りように塗ってある。灰色の絵具は下に垂れて流れている。それからこの絵に描かれているのは柱頭の装飾なのだが、その装飾図形が人の顔にも見みえるという具合に、図形と図像の問題さえ取り込んでいる。欲張りなのだ。
 それでも、他の作品が修復した土器の写真や剥がれたフレスコ画に見えてしまうのにくらべれば、この作品は絵画としての纏まりがあるように思える。
 ほかの作品にはあまり目を惹くものはなかった。帰ってからパンフレットを読むと、山川はいろいろな仕掛けをしているのだが、《03》の印象が強すぎて、あとの作品はなかなか素直には見られなかった。なかでも、作品番号《14》の無地のキャンバスの意味がよく理解できなかった。《14》番までは、キャンバスと絵具と図像の関係が描かれていたのに、突然無地のキャンバスが出てきて、ちょっと安易なアートだなと思っただけだった。
 ところが、あとでパンフレットの解説を読むと「題名がすべてサイズと制作年月日を示す数字と記号の組み合わせになっている・・・」と書いてある。わたしはすべてを理解した。まず、作品のサイズは、絵画が物理的な存在だということを表す。そして制作年月日は、主題ではなく、それがその日に描き終えた作品であることを示す。だから、無地のキャンバスは、オブジェでもレディメイドでもなく、何も描かないことを描いた絵画なのだ。これは河原温の《日付絵画》のような絵手紙まがいのものではなく、正真正銘の日付絵画ではないか。山内崇嗣はきっとこの無地の絵画を一枚描くために、せっせと他の絵を描いて制作年月日を付けていったに違いない。
 ぼくは、この素晴らしい考えに夢中になり、他に話す相手もいないので、しかたなく女房に話した。女房はただ鼻で笑っただけだった。
 くやしいので、これを一大論文にして、ブログに載せようと、ネットを検索した。すると山内崇嗣のHPに「プロジェクトNの展示にあたるメモ」があった。読んで僕はがっかりした。《無地のキャンバス》の制作年月日が今から百年後と書いてあるのだ。そこの所を引用する。

「14展示のアクセントにまったく無地のキャンバス。概念的なものでキャンバスなら素材は何でも良い。あまり塗装や描画されていないキャンバスの作品でも、近くに全く描かれていないキャンバスがあれば、何か描かれているように見えるだろうと。制作年は今から大体100年後、尺という単位や畳など100年以上前の単位や物が現在もあるので、100年先でもキャンバスというものはあるだろうと思い用意した。」

 無地のキャンバスが概念的(コンセプチャル)なものだと、山内は認めているが、それは、グリーンバーグのいう究極の絵画としての「鋲打ちされたキャンバス」ではなく、百年後も絵画制度として残っている画材としてのキャンバス製支持体なのだ。これはこれで、グリンバーグ批判として面白い。しかし、それなら、なぜ作品完成を意味する制作年月日[2101/09/11]を付けるのだろう。
 山内はこの展覧会を企画するにあたり、「廃墟マニアが観光に出向くように、僕(山内)が廃墟になった近現代の美術館で楽しく見学する風景を想像しつつ構成するように、そういう風景ができあがるように展示を構成し作品を制作した。」と、ちょっと不明瞭なところがあるが、とにかくそう言うわけで、「壁面上、リーフレット上、作品が抜けているような壁や、リーフレットの番号で欠番のある構成にした。」というのだ。廃墟になった美術館なのだから、タイトルは残っていても、作品がなかったり、タイトルも作品も無くなって整理番号だけ残っていることもあるだろう。しかし、それなら、なぜ物故作家の『山内崇嗣展』に、百年前に描かれた作品に混じって、新しくタイトルを付けられた《無地のキャンバス》が展示されているのか。山内崇嗣は死んでいるのだから、学芸員が勝手に展示したのだろうか。
 しかし、欠番があるということは、この作品番号が百年前に東京オペラシティで開かれた『山内崇嗣展』のときのものだと推測される。ということは、[14]の作品番号が付けられた《無地のキャンバス》は、百年前の『山内崇嗣展』に、百年後の日付を付けられて、展示されていたことになる。
 などなどと、〈無地のキャンバス〉と〈作品の不在〉と〈欠番〉の謎解きをしているうちに、いつの間にか作者の術中にはまっている。山内は、美術館で開いた自分の美術展で、図々しくも美術館批判のインスタレーションをしたのだ。
 また、これは、絵画による絵画論になっているのだが、山内は、絵画を平面性に還元するグリーンバーグ流の自己言及性ばかりではなく、絵画のイルージョン性や記号性の問題も提起していることを忘れてはならない。他の作品には「だまし絵」的な手法も使われているようだし、今回の展示作品でも、たとえば、岸田劉生の《壺の上に林檎が載って在る》の構図を模した絵[34]などは、図像の模写ではなく、図像の二重化・記号化を扱っているようにおもえる。堀元彰はパンフレットの解説で「モチーフのキッチュさに大きく依存したこれらの作品は、幻影性の創出に代わって、忘れられつつある『美』の再発見を提起する」と書いている。モチーフのキッチュさを指摘するのは正しいが、イルージョンに代わって山内が提起するのは美の再発見というよりも、その基底に横たわる図像の二重化・記号化の問題なのである。山内の絵[34]は、林檎を載せた壺を描いているのではなく、岸田劉生の《壺の上に林檎が載って在る》という絵画作品を描いているのだ。そしてこれはオリジナルを再現する模写ではなく、オリジナルの代理をする(stand for)記号化された図像なのだ。ということは、記号化された図像(山内の絵)がオリジナル図像(岸田の絵)を指示し、その指示されたオリジナルの図像(絵)が「林檎を載せた壺」を指示するという具合に図像(絵)が二重化されていることになる。これは、図像の記号化を含んでいる点で、ダブルイメージや騙し絵とはまったく異なる図像現象なのである。(大竹伸朗がダイアン・アーバスの写真を使って図像の記号化を試みている)
 多くの画家は、一つか二つのことを一生かけて追求する。しかし、山内はあらゆることを試みる。こんな真っ正直に絵画に取り組んでいる画家は今のニッポンにはあまりいないだろう。大竹伸朗も随分といろいろやっているが、何処かで纏めようとするところがある。山内にはそれがない。山内のなかでは偶像崇拝と偶像破壊がせめぎ合っているように見える。
 ただ、それが成功しているかどうかは、別のことだ。絵は見て楽しむものであって、頭を悩ますものではないからだ。
 いずれ傑作を生むことを期待して星三つ半
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 ところで、百年後の美術館に、自分の作品が破棄されもせずに51枚も残っていると山内は信じているのだろうか。
2007.01.06[Sat] Post 22:50  CO:0  TB:1  -山内崇嗣  Top▲

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