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①菱田春草の《落葉》:黒瀬陽平と会田誠と岡崎乾二郎

岡崎乾二郎と会田誠と黒瀬陽平のまったくタイプの異なる三人の美術家が菱田春草を褒めている。黒瀬陽平はTwitterで、「すごすぎる」の一言、「えー なんだこれ 天才じゃん…」と絶句している。それに対して、岡田と会田の両氏には『落葉』についての作品論がある。藤枝晃雄の分類に従えば、岡崎乾二郎はフォーマリストであり、会田誠が反フォーマリストということで、比較するのに恰好である。

会田氏はエッセイ『大いなるイラスト』の中で、「ーー日本画は『落葉』に始まり、『落葉』に終わったーー。」と書いている。この「日本画」というのは、天心やフェノロサが西洋の模倣でしかない当時の洋画に対抗して、日本画ルネサンス運動を興した中で生まれたもので、その理念を体現したのが、夭逝した画家菱田春草であり、その代表作が《落葉》ということだ。

《落葉》は、発表当時、旧派の日本画家からも、洋画家からさえも、「非日本画」だとか、「一種の洋画」だと批判されたにもかかわらず、会田誠が感動したのは何故だろう。菱田春草はまだ西洋の模倣でしかない洋画と、日本の伝統を活かした日本画はいずれ「渾成統一」するものと考えていたのだが、会田誠が「《落葉》で終わった日本画」をキャンバスにアクリル絵具で再興しようとしている自分を夭折した天才菱田春草に重ねているのだ。会田は「つまり、僕が究極的な意味でいう日本画とは、材料ではなく、日本趣味の絵柄でもなく、人生観・世界観そのものです。」と言う。日本近代絵画の精神性ということになれば、ターナーの水彩画による英国風景に対して、菱田春草が描いた武蔵野の雑木林こそ日本の風景ということになる。狩野派の盆栽のような松や梅の襖絵や名所旧跡の浮世絵と比べれば、《落葉》の近代的精神性は疑いもない。そう考えれば、会田が《落葉》に感動した理由も分かるし、《落葉》が日本近代美術史の中で、洋画と日本画の境界を越えた特異な位置を占めていることは、誰でもが認めざるをえないだろう。

以上が、会田誠の《落葉》論で、どちらかと言えば、印象批評である。次回は、美術界きっての理論派と言われる岡崎乾二郎の《落葉》論を読む。




2014.11.15[Sat] Post 23:11  CO:0  TB:0  菱田春草  Top▲

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