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村上隆監督の映画『めめめのくらげ』の〈跳んだり撥ねたり走ったり、そして着地〉

画家が監督した映画は大抵は失敗する。これまで私が見た映画で評価できるのはジュリアン・シュナーベルの『潜水服は蝶の夢を見る』ぐらいだろう。池田満寿夫や村上龍などの監督作品も気取りばかり目について(今にして思えば「キャンプ」だったのかもしれない)優れた作品とは言えない。

画家が映画に失敗する理由はいろいろあるだろうが、なかでも、絵画の空間と映画の空間の違いを理解していないことが大きい。絵画は「知覚に基づいた想像」の空間であり、映画(動画)は想像ではなく、錯視あるいは擬似知覚の空間なのだ。この違いを理解するには、絵画はいつもキャンバスの矩形のフレームが知覚されてそこにあるけれど、映画は上映されている時はスクリーンのフレイムに気づかないが、映写機が停止して静止画になると途端に矩形のスクリーンが現れる。

絵画の物理的表面は平面なので両眼視差が生じない。映画も同じようにスクリーンは平面なのだが、カメラや被写体が動いているので、両眼視差のかわりに時間視差(動体視差+カメラの移動による視差)が働く(立体視にはその他いろいろな視覚情報が協働しているけれど)。3D映画は人工的に両眼視差を作って無理矢理余計な三次元空間を押し付けるので観客は吐気を催す。

漫画やアニメの楽しみ方はすでに述べた()。漫画アニメは「跳んだり撥ねたり走ったり、そして着地が楽しいのだ」 これは、私の個人的な楽しみ方なのだが、日本の漫画本来の楽しみ方でもある。そういう意味では宮﨑駿のアニメが面白くないと言ったビートたけしの意見には賛成だ。一番、面白いのは、コマ割りの優れた日本の漫画(ワタリ、ドラゴンボール)、つぎは最近の特撮やCGにアシストされた映画(ジャッキー・チェン、スパイダーマン)、ダメなのが宮崎駿のアニメということになる。

村上隆の『めめめのくらげ』はアニメと実写のハイブリッドだ。アニメは跳んだり撥ねたり着地する。実写は走ったり歩いたりする。「跳んだり撥ねたり走ったり」を見れば『めめめのくらげ』がどの程度評価すべき映画か、およそのところ分かるだろう。

まずアニメだが、「ふれんど」の「跳んだり撥ねたり」はよくない。観客はキャラクターの動きと一体になれないのだ。確認のために『HERO』を見たが、同じようにCGの欠点がまる見えだ。ただ、くらげ坊の着地だけはピタリと決まっていて気持ちが良い。あと、最後の決戦のふれんどの動きはイワシの群れのようでちょっと白ける。

実写の方は、正志がくらげ坊をダンボール箱に入れて神社まで運ぶシーンは、映画における「歩く」ことの意味が分かっていない。カメラも正志の歩き方も全然何をするのかわからなくて、観客の感情移入が起きない。誰も居ないところに行って、二人が知り合って、心が通じ合うためとわかるのはだいぶ経ってからだ。映画のモンタージュや心理描写の基本が分かっていないような気がする。このシーンは一番の見せ所なんだけれど。そういえば正志と咲の間に恋心が芽生える流れも新興宗教やいじめが出てきて、シナリオとしては定形なのだろうが、どうもチグハグの感は免れない。

咲がスク水でプールに飛び込むところは、ぎこちないが、それがかえって初々しく成功している。胸も小さくて会田誠が喜びそうだ。登校途中の田圃道を上半身だけ見せて、右から左へ歩いて行くカットは気に入っているらしく数回出てくるけれど、退屈だ。それと、咲が橋の上を走り、正志が追いかけるシーンは、映画のクライマックスとも言えるのだが、どうもカメラと咲正志の二人の演技が、それともちろん編集も下手なため盛り上がりに欠ける。咲の走り方は悪くはないのだが、ちょっと大袈裟すぎるかもしれない。それからラストシーンで、るくそーに抱かれた正志と咲が顔を近づけたので、てっきり、キスをするぞ、さすが世界の村上やるじゃんと思ったら、途中でやめてしまった。メイキングを見たら村上はかなり細かく演技指導している。なんだろう、あのキスをためらう演技指導は。

村上はアニメを作ることが長年の夢だったという。だから、やりたいことはたくさんあったのだろう。それが分からないではないから、けっこう見ていて、楽しめた。二度借りたのだが、一度目は、最初の神社へ行くところで見るのを止めてしまった。ところが、小松崎拓男田中功起との論争などを知って、それなら、『めめめのくらげ』を最後まで見てみようと思ったのだ。

ニョウボの感想は、『芸術起業論』を読んだ頃は村上は嫌な奴だと思っていた。ヴェルサイユ宮殿の個展以来村上を見なおしていたけれど、この映画を見て、村上のぎこちなさは好感がもてるし、きっと評判とは違って「いい人」に違いないと思うようになったそうだ。村上は美術では職人たちの助けを借りているのだから、映画はなおさら協働が重要だ。映画は監督を含めてかっては職人集団の仕事だった。なかでもシナリオは「原案村上隆」とあるのだから、協力者がいたのだろうが、どうも絵画彫刻のようには協働が上手く行っていないようだ。

書き終わった後、「マイナビニュース」に村上隆のインタビュー記事《「日本はアートに対して無知」 - 映画『めめめのくらげ』》を見つけた。それを読むと、村上氏は随分といろいろなひとに相談したり協力を仰いでいる。『めめめのくらげ』には強い思い入れもあるようだが、私の批評は私の子供のときからの「漫画の見方」によるもので、決して「アートとしてのアニメ」の批評ではない。それにも拘わらず、私の「漫画の見方」は現在でも有効だと思っている。

わたしは『スパイダーマン』が好きだ。スパイダーマンがビルの窓にピタリと「着地」すると、ターザンがジャングルの蔓を伝わって、象の背中に着地するのを思い出す。

スレッド:art・芸術・美術 / ジャンル:学問・文化・芸術

2014.10.29[Wed] Post 01:00  CO:0  TB:0  -村上隆  Top▲

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