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田中功起の《コレクティブ・アクト》はグループ・セラピーか

田中功起のヴェネチア・ビエンナーレの映像インスタレーション「抽象的に話すこと - 不確かなものの共有コレクティブ・アクト」の第一部は、複数が協働して一つの芸術的創作を行うのだが、これは「バラエティ番組」の「パクリ」だということはすでに述べた。「パクリ」というのは、一種のアプロプリエ―ションの手法のことで、村上隆が「おたく」のパクリなら、田中功起は「バラエティ」のパクリになるということで、とくに否定的な言辞ではない。(*) ただ、村上の場合は形があるので目立つけれど、田中の場合は方法なので目立たないという違いがある。

映像インスタレーションの第二部は、「まだ固まりきらないアイデアに基づいて誰かと何かを行い、それを写真やテキストにとどめたものだった。非常食を食べながら自分の名前について話す、懐中電灯を持って大勢で夜の街を歩くなど、田中が《集団的行為 collective acts》と呼ぶ、まだ行方の定まらない種々の実験である。」(プレス・リリース) 第一部のプロジェクトは「社会心理学的実験」だったが、第二部も「実験」であり、ともにシミュレーションだということでは共通している。この集団的行為の実験を東京駅で大勢のサラリーマンが階段を降りてくるのを見て思いついたと田中は言う。これも、ビニール傘が風で飛ばされるのやオレンジが階段を転げ落ちるのと同じようにちょっと面白い情景だ。

しかし、この集団的行為には第一部の芸術的な共同作業と違って、何かを創作するという目的はない。懐中電灯を持って集団で歩けば、他の人は何事かと訝しむだろうし、懐中電灯がペンライトのかわりになっているところはバラエティ的だけれど、まさにそこで集団における個体同士の原初的なコミュニケーションが生まれる。食事や睡眠など人間の基本的な欲望も関わってくるのだから、言葉以前のコミュニケーションも生じる。引き合うだけではなく、反撥もあるだろう。そして、最後は言葉の交換になる。

この集団行為の実験には社会性の萌芽はあるけれど社会批判はない。集団的行動をとおして個人としての自己を知ること、コミュニケーションよりアイデンティティを求めることが重要になる。そうだとすれば、「非常食を食べながら自分の名前について話す」というのは、「グループ・セラピー」そのままだ。カウンセラーもいない、悩みを告白するわけでもない。しかし「名前」は、他人と自分を識別する目印なのだ。

「宗教との結びつきを欠いた芸術は自己を見失い、娯楽や心の治療法のごときものとなり、そうした堕落から芸術を救出するには至らなかった」と藤枝晃雄は言う。

芸術は治療法として作用するという指摘は、ロバート・ヒューズのポストモダンへの批判の中で繰り返される。 ~(中略)~ 治療法としての芸術、それは芸術に投資する成り上がり者、それに群がる画商や美術ブローカー、芸術に憧れる文化人、感性的なものとは無縁な美術評論家、学芸員、美術史家、そして芸術家自身を一時的に癒やすものである。(『現代芸術の彼岸』7P.藤枝)


「現代美術」は美術業界の集団セラピーと言える。美術に癒やしを求めたのはポストモダンの芸術家が最初ではない。芸術による自己救済はモダニストの画家と成り上がり者のコレクターが始まりだ。しかし、画家とコレクターの関係は、例えば、マチスとシチューキンのように、作品を媒介にした関係だった。ところが、作品を作らないコンセプチャル・アートが生まれた。買うものがなくなったコレクターは作品を買う代わりにアーティストを援助するパトロンになった。あるいは話は逆かもしれない。パトロンは、「芸術に投資する成り上がり者」などと批判されることもなく、芸術に関わることが出来る。村上隆と田中功起の対立の背後にはこのコレクターとパトロンの対立が隠されている。

田中功起が受賞したドイツ銀行の《Künstler des Jahres》2015は賞金は出さない、そのかわり若い芸術家を育てるためにベルリンの「芸術会館」での個展のチャンスを与えると、さすがに芸術の保護者らしいことを言っている。

「治療法としての芸術」といえば、誰よりも会田誠のことだろう。彼の全作品は、《河口湖曼荼羅》から《灰色の山》まで、自己救済のためと言っても過言ではない。このことは多くの人が美学的視点から論じているので、私の出る幕ではない。しかし、もっと通俗的な「癒やし系」と言われる視点から述べておきたいことがあるけれど、それはまた別の機会にしたい。






スレッド:art・芸術・美術 / ジャンル:学問・文化・芸術

2014.10.20[Mon] Post 00:41  CO:0  TB:0  田中功起  Top▲

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