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村上隆の《おたく》 と 田中功起の《バラエティ》 : 「芸術における協働の問題」(改題)

奈良美智の「制作風景」のビデオ(注1)には「制作学(術)」の真髄がある。

奈良は絵師と彫師と摺師を一人でやってのける。たとえば、彼はいろいろな方法で線を描く。筆を長く持って、腕を伸ばして描いた少女の顔の輪郭線を、内側と外側から刷毛の角を使って整える。はみでた絵具をティッシュで拭き取ることもある。この方法は彫師が一本の線を彫るために、両側から二本の輪郭線を彫る方法と似ている。絵師が大雑把に描いた櫛の目や髪の毛を彫師が一本ずつ細密に彫っている。

奈良は摺師の技法も使う。薄いアクリル絵具を下の色も見えるように重ね塗りしたり、アクリル絵具をティッシュや刷毛で伸ばしたり、擦ったりする。奈良は「これは化粧です」と言っているのだが、摺師の「重ね摺り」や「ぼかし摺り」の技術に通じる。浮世絵師たちが分担してやっていることを奈良は一人でやっているわけだ。

いまここで問題にしたいのは、田中功起がインタビューで提起した「芸術に於ける協働の問題」である。技師の仕事と違って「芸術家の仕事は個人的なものだ。ーたとえば絵を描くことー それは役割分担という考えには馴染まない。芸術家の仕事は有機的なもので、もし、参加者が一緒になにかを創造したいと思うなら、民主的に協働しなければならない。」と、田中は言う。芸術家の仕事は有機的なものだと言えば確かにそうだろう。しかし、その有機的な芸術が民主的な協働で上手くいくかどうかは疑問だ。

協働がうまくいっている例を考えてみよう。上で挙げた「浮世絵木版画」の例では、コミュニケーションや段取りが必要だが、民主的に協働しているわけではない。版元が一番力をもっているけれど、絵師彫師摺師は人気や技量によって力関係は変わるだろう。もっと分かりやすい例は村上隆の工房システムだ。彼は最初は芸術家の自由を尊重して工房を梁山泊にしよとして失敗した。そして今のような詰め込み型のスタッフ方式に変えたという(『創造力なき日本』村上隆著)。もちろん村上が統括して、タイムテーブルにしたがって、反省し、話し合い、次の作業のための指示書をだしている。

「浮世絵」(北斎漫画は例外)や「村上工房の作品」に共通していることは、ともに工芸品の性格を強く持っていることだ。田中のプロジェクトの三つの中で陶芸が一番工芸的である。工芸の職人的な技は段取りさえ決めておけば協働は易しい。反対に芸術性や独創性が高いものは協働になじまない。たとえば、ポロックの《ポード絵画》は、一見して、協働が上手くいきそうだが、四五人で描いたら決して優れた作品にはならない。ポロックは簡単そうに見えて誰にも真似ができない。それに対して、白髪一雄の足で描いた抽象画は段取りさえ決めておけば、優れた作品は無理にしても、白髪よりマシな抽象画が出来上がる可能性はある。何故か、それはポロックはアクション・ペインティングではないが、白髪は文字通りのアクション・ペインティングだからだ。

田中功起は自分のプロジェクトが失敗したり成功したりすると言っているが、何をもって成功といい、何をもって失敗というのだろうか。そもそも、浮世絵版画も村上工房も作品を作るための協働だ。それなら田中功起のプロジェクトの作品とは何か。ことさらに作品をプレゼントし、評価することもないところをみれば、重要なのはサントラでも陶器でもヘアスタイルでもないようだ。とすれば、インスタレーションで上映している《ビデオ》が作品ということになる。プロジェクトは本来一人でやることを複数の参加者で行い、協働が上手くいくかどうか観察し、それまで気づかなかったことを明るみにするのがプロジェクトの主旨なのだから、その過程を記録したビデオが作品になるのは当然だとして、もしプロセスが重要だというなら、田中功起自身が言っているように、失敗は失敗ではなくなる。ところが、皮肉なことに、この「失敗は失敗ではなくなる」というプロジェクトの便利な性格が、このプロジェクト全体を失敗に導くのだ。

まず、ビデオを見てみよう。最初の印象は「既視感」だった。出来の悪い「NHKのドキュメンタリー番組」に見えた。次に思い出したのは「パラエティ番組」だ。こんな変なことをやらせて笑いをとる番組が沢山あった。なかでも松本人志が優れていた。彼のひねりは一回ではなく、二回だった。お笑い番組だから、ワザと失敗したり、反対のことをしたりして、笑いをとる。私も実は、バリカンで刈らないか、ピアノを足で弾かないか、粘土の器に穴をあけないか、密かに期待したけれど、何も起きなかった。つまらない。しかし、我慢して見ていると、何か変なのだ。陶工のプロジェクトの最後で、一人の陶工がこれ以上、協働は続けられないと言って、その理由を述べ始めるのだが、取ってつけたようで、ワザとらしい。

早送りで他のプロジェクトのビデオも見たけれど、やはり態とらしいところがある。「やらせ」に見えるけれど、これはヤラセではない。初めての参加者はこの多人数で一つのことを同時にやるというプロジェクト興味を示し参加できることを喜んだという。それで、参加者はアーティスト田中功起の意図を汲んで自分から積極的に協力したのではないか。それでは慣れ合いになって、思いもかけないことなど起こりようがない。ただ、白けるばかりだ。

勿論これはお笑い番組としては失敗だが、コンセプチャル・アートとしては失敗ではないと言うだろう。失敗にはベタな失敗とメタな失敗がある。連帯協働には相手の意図を忖度して協力することが重要だ。忖度しすぎて失敗することもあるからコミュニケーションが大切だなどと、言おうと思えば言えるわけだけれど、グループ作業に参加した者同士ではなく、いわば被験者が被験者同士のコミュニケーションではなく、実験者とのコミュニケーションを優先した結果、「擬似的ヤラセ」が生じてしまったのだ。もちろここでは皆をまとめるための言わずもがなの提案も「ヤラセ」に含まれる。社会心理学的実験では常に起こりうる失敗だから、そのための方策はいろいろあるのだろうが、詳しくは知らない。ひとつには報奨の問題がある。みんなで協力してそれなりの作品を作るよりも、自分だけ実験者に喜んでもらえる方が満足度が高いのだ。

実験が終われば、参加者に面接をしたり、ビエンナーレの前後には会議をするのだろうが、しかし、ああ言えばこう言うのは会議であって、作品制作の協働ではない。制作学の視点から奈良美智の「制作風景」のビデオと田中功起の「プロジェクト」の記録ビデオを見れば、面白いのは言うまでもなく奈良のビデオだ。ちょうど、ニョウボが油絵具からアクリル絵具にかえて使い方が分からなくて困っているときに見た。奈良は惜しげも無くアクリルの使い方の秘密を見せている。アクリル絵画の入門書が沢山あるけれど、本当に役立つのはこの奈良美智のビデオだろう。一人で描く奈良の絵画と複数人で分担する浮世絵の線の違いが面白い。

以上で一旦終わるが、私は田中功起を否定しているわけではない。この問題はもともと田中功起のヴェネチア・ビエンナーレ2013年のいわゆる受賞に、村上隆などの「Tokyo Pop」の時代は終わってこれからは田中功起の「ライト・コンセプチャル・アート」の時代だという小松崎拓男のコメントから始まっている。確かに村上と田中は対照的な二人である。片方は絵画彫刻の作品があり、もう片方は作品といえるのはビデオだけである。しかし、両者はサブカルチャーという視点から見れば、村上隆は漫画アニメおたくの影響を受けているし、田中功起は日本のバラエティの手法を使っており、ともにジャポニズムなのだ。

村上隆も田中功起もともに欧米への売り込みに長けている。その意味では二人とも「スーパージャポニズム」といえるのだが、田中功起の戦略は明らかに「バラエティ番組」の「フォーマット販売」の手法を使っている。このことはいずれ詳しく分析するつもりだが、ともかく田中功起の「日常的なものと政治的的なものの間に橋を架ける」という来年のベルリンでの個展が俄然楽しみになってきた。

注1:『奈良美智の線』 http://petapetahirahira.blog50.fc2.com/blog-entry-914.html / 『奈良美智とビール』 http://petapetahirahira.blog50.fc2.com/blog-entry-916.html
2014.10.09[Thu] Post 23:55  CO:0  TB:0  奈良美智  Top▲

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