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ドイツ銀行の『Artist of the Year』受賞後の田中功起のインタビュー

 『art』 Das Kunstmagazin 7/8/2014の記事からの拙訳



  《われわれ自身をちょと振り返って見よう》


田中功起はビデオ・アート制作のために、美容師や陶工、ピアニストに協力してもらった。彼はなぜチームワークが自分の作品の大きなテーマなのか、『art』誌のために話してくれた。
                  [インタビュアー:Sophie Jung]

田中功起のビデオ作品は皆で同時に同じ仕事をする人たちを記録している。彼等は一緒に一台のピアノを弾き、九人の美容師が一人のモデルために新しいヘアスタイルを考えだす。田中のインスタレーションやパフォーマンスは常に社会性をめぐって展開される。

【質問】 あなたの作品は集団行動の困難や矛盾を明るみにします。なぜ、あなたはこれ等の社会的要因に関わる問題に取り組むのですか。

【田中】 美容師やピアニストだけではなく、陶工や詩人にも協力してもらいました。すべてのプロジェクトは連続するシリーズの一部です。どれもコラボレーションのプロセスの問題です。ということは、参加者が結果の分からない状況の中でいかに協力し合うかをめぐる問題なのです。参加者が一時的に集まったグループなら、最初は、コラボレーションを楽しみに喜んで参加します。しかし、参加者はそれぞれ異なる社会背景を持っているし、自分の職業に関して異なるイメージ、すなわち、芸術とは何か、芸術はいかに実行されるかに関して異なるイメージを持っている。そういうわけで、参加者は予想もしなかった芸術上の問題に突き当たるのです。彼等はヘアカットや焼物作りや音楽、詩作についてどう考えているか自分の考えを述べることが求められます。ビデオ撮影を始めるとき、いつも、彼等がお互いに議論できるような自己反省的な課題を与えておく。たとえば『ピアノービデオ』のプロジェクトでは、“sound track for collective engagement”(集団参加のためのサントラ)というテーマです。それは結局は自分たちが直面した状況と同じものなのです。みんなで一台のピアノで一つの曲を演奏するというテーマです。陶工のグループはプロを集めました。彼等はもっとも激しく衝突したグループでした。コラボレーションをしているときに、陶工の一人がこれ以上続けることを拒絶した。そして彼は何故一緒にやれないか話し始めた。失敗はある意味で、常に何らかの真実を発見してくれる、このプロジェクトの一部です。一面では美しく、他面では醜いのです。

【質問】 陶工、美容師、ピアニスト、詩人、あなたはプロジェクトのために創造的な仕事をしている人たちを集めます。なぜ、別の職業を選ばないのか。たとえば、協働して橋を作っている技師たちなど。

【田中】 技師の仕事は部門で分けられるのが特徴です。たとえば、技術的な観点からです。その作業過程にはヒエラルキーの組織が必要になります。これはコラボレーションという意味での共同作業ではありません。それに対して、芸術家の仕事は個人的なものです。ーたとえば絵を描くことー それは役割分担という考えには馴染みません。芸術家の仕事は有機的なものだ。もし、参加者が一緒になにかを創造したいと思うなら、民主的に協働しなければなりません。 芸術家の制作と言うのはコラボレーション作業の大変良い例です。しかし、非常に極端な例でもある。なぜなら、芸術家は本来一人で作業するものだからです。わたしのプロジェクトの参加者は、自分たちにとってコラボレーションとは何か真剣に熟考しなければならない状況に陥ります。この意味で極端な状況というのは私達の社会の反映でもあるのだ。この私のプロジェクトのために集まってもらった一時的な共同体を通してわれわれ自身の社会を振り返ってみることができるのではないか。(このあたりの正確な意味不明:訳者)

【質問】 あなたは、自身の芸術について、自分の仕事は日々の決断と格闘することだと言っている。その例としてまったく単純な物事を挙げている。朝食はバターピーナッツにするか、トーストにするかなどです。ありきたりで個人的なさしあたってのことがあなたの仕事に中心なのですか。

【田中】 個人的な決断はしばしば政治的な決断でもあるのです。最近、ロンドンのICA(現代芸術研究所)のためにあるプロジェクトを行いました。それは、2011年のロンドン暴動が勃発した地区の住民に関するプロジェクトです。なんらかの形で反乱に参加した人たちに、騒擾が起きた日に通った帰宅路をもう一度辿ってもらうという遣り方で、その日を再現してもらい、それをビデオに撮り、後で彼等にインタビューをした。彼等にはその道を選んだ非常に個人的で特別な理由があった。ある者はあの晩女友達と家に帰るところだった。彼女は何としても騒動に参加し、道沿いの商店の略奪に参加して、彼のためにT-シャツを盗もうとした。彼は何度も暴動に入り込むのは止めてくれと頼んだ。

再現することで、彼の当時の記憶が甦った。暴動は政治的な出来事だが、また、まったくの個人的な経験でもあった。日常的な事柄を話すことから始めれば、あとになって予期しなかったことが明らかになる。

【質問】 2013年のベネチア・ビエンナーレの日本館のインスタレーションはあなたが中心に行った。そこで、2011年のフクシマの核災害と比較することで、集団行動における矛盾を芸術家として分析して見せてくれました。しかし、あなたのビデオ作品はすでに部分的にはそれ以前に作られていました。イヤミに聞こえるかもしれませんが、これはただ偶然がうまく働いたということですか?

【田中】 私はすでに2010年に『九人の美容師による(二度目)ヘアカット』のプロジェクトを行っています。しかし、地震と津波と、最後に核災害が起きた後、この仕事に対する私の見方が突然変わってしまいました。『ヘアカット』ビデオとフクシマ後の日本の社会のあいだに小さな結びつきがあることを知ったのです。そういったカタストロフィは、たとえ望ましいことではないにしろ、連帯と助け合いのユートピア的瞬間を生み出すものです。日本だけではありません。: 『災害ユートピア なぜ、そのとき特別な共同体が立ち上がるのか』(レベッカ・ソルニット著)という本があります。そういうわけでこの本を読んだのですが、これは米国の自然災害の多くの事例を扱っている。サンフランシスコ地震やニューオーリンズのカトリーナ・ハリケーンなどです。ソルニットは、このような災害の後いつも短期的な共同体が形成され、人々は連帯する。日本でもそうだった。 日本館のキュレーター蔵屋美香にヴェネツィアでフクシマの災害をテーマにする気はないかと問われたので、『ヘアカット』ビデオを日本館のプロジェクト全体の冒頭に持ってくることで、日本館のプロジェクトはやっとのことで、災害後の社会の現状と将来に向けた可能性と取り組むプロジェクトになった。

【質問】 福島カタストロフィ以来、個人的なあるいは芸術家としての態度に変化はありますか?

【田中】 そうですね、われわれの世代の日本の芸術家は、以前はいつも非政治的と言われてきました。芸術家は日常的なことに専念して、日本の政治的社会的状況とは関わり合おうとはしなかった。それには理由がある、この世代は90年台の不景気の時代に現れた世代です。不景気はすでに20年継続しています。我々の世代は日本が経済的に強国だと感じたことはありません。ヨーロッパにくると、いつもユーロやポンドが強いと感じました。もうお金はありません。何ももっていません。というわけで、わたしたちは将来もなく現在と身の回りの細事もかかずらっているのです。わたしが美大の学生だった時皆そう感じていました。ところが福島のカタストロフィは我々を目覚めさせたのです。我々の世代だけではなく、日本人みんなが目覚めたのです。

【質問】 ヴェネチア・ビエンナーレで上映されたビデオはネットで見ることができます。だれでも見ることが出来ます。これは空間的だけではなく、ネットでお互いに結びあった一種の共同体なのでしょうか。

【田中】 ヴェネチアは特別なのです。日本館のプロジェクトは日本とある意味で密接な関係にあります。プロジェクトは日本から始まって、日本を扱っています。ところがイタリアは遠い国です。それで、日本館のすべてのビデオと情報をネットにアップロードして、開会前にはTwitterでも自由にしました。わたしはただ日本の皆にビエンナーレに興味を持って欲しかったのです。そもそも、一般的な日本の観客に私の仕事を身近に感じて欲しかったのです。同時にギャラリーでも販売したけれど、ビデオをアップしたことでこの目的は達せられました。私はフランス・アリスの大ファンです。彼もまた自分のビデオ作品をインターネット上で公開している。彼の仕事は公開するために行われる。だから公開する。そういうのが好きだ。

【質問】 ドイツ銀行の“Artist of the Year”に選ばれました。ドイツ銀行のアートホール(ベルリン)で、来年ヨーロッパの公的機関での最初の個展が開催される。どんな展示をするつもりですか?

【田中】 私の芸術家としての実践は多岐にわたる。まだ、正確には分からないが、古い仕事を新しい仕事に結び付けたい。今は社会的なテーマと政治的なテーマを芸術的実践に取り入れている。以前は、日常的なものとそのオブジェにより集中してきた。日常的なものと社会政治的なものとの間に橋を掛けることが私にとっての挑戦だ。来年の展覧会は、回顧から私の総体的な芸術的実践の肖像画のようなもの作成するための絶好の機会になると思っている。展覧会はテーマごとの地図のようなものになるだろう。展覧会がどんなものになるか今から私自身がワクワクしている。

以上

このインタビューを読むと田中功起と村上隆の対立点がよくわかる。いくつかのポイントを指摘しておく。

①村上隆が欧米の文脈というが、田中功起も欧米の文脈に見事に乗っていることが分かる。

②このインタビューで一番のポイントは田中功起がフクシマのことを問われて、『災害ユートピア なぜ、そのとき特別な共同体が立ち上がるのか』(レベッカ・ソルニット著)を持ちだしたことである。これは「トンデモ本」ではないかとすぐにピンと来た。Amazon.comの星1つと星5つを幾つか読んだ。どちらもおもったとおりだ。レイチェル・カーソンの『沈黙の春』だ。朝日新聞の書評欄に柄谷行人の書評がある。唖然とする。独断というより昔のサヨクそのままの臆見で、今ではむしろ珍説の部類だ。

③エンジニアとアーティストに於けるコラボレーションの違いについての説明が不明瞭だ。村上隆の工房方式の開発と田中功起の企画会議を比較すれば、手で作る作品の有無が重要。田中さんのプロジェクトの成果はなにか。失敗にも意味があるというのはおかしくないか。コンセプチャル・アートだからか。芸術に於けるコラボレーションの問題は村上隆に聞いたほうがよくないか。

④コンセプチャル・アートというより、社会心理学的実験ではないのか。パブロフの犬の実験はコミュニケーションの問題でもある。なぜ、フクシマの事実を隠そうとするのか。朝日は嘘をついてまで、「フクシマの50人」を否定しようとした。連帯や助け合いには程遠い反核運動。広島や長崎では泥水を飲んで頑張ったと被爆二世の山下長崎大教授は言った。そして、サヨクたちは官邸前デモこそSNS連帯だと言い張った。

⑤日常的なものと社会政治的なもののあいだに橋をかけるという田中氏の新しいプロジェクトは、それ自体随分と古い六十年代の政治的テーマだ。当時は実存主義かマルクス主義かの問題で、サルトルの“engagement”の思想が喧伝されていた。しかし、アンガジェしないこともアンガジェだと、なにやら訳の分からないコトを言っていた。

⑥田中さんは政治的なものの中に日常的なもの見つけるという手法をとるのだろうか。それとも日常的なものの中に政治的なものを見つけるのだろうか。両方とも日本共産党が愛用している手法だ。どちらにしろ、パトロン達に喜んでもらわなければならない。そのためにはたぶん少し左に舵をきることになるのだろう。

これ以上ごちゃごちゃ言っても仕方ない。このインタビュー記事を読めば田中功起は自分の役割を心得ているスマートな芸術家であることが分かる。ベルリンの個展に期待しよう。



スレッド:art・芸術・美術 / ジャンル:学問・文化・芸術

2014.10.03[Fri] Post 22:59  CO:0  TB:0  田中功起  Top▲

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