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青田真也における「絵画の問題」

今年の初めに青田真也が『日常/オフレコ』展(神奈川劇場)でグランド・ピアノを削ったことが話題になった。

2010年の『青田真也 Shinya Aota』個展(青山/目黒)の展評()で言うべきことはすべて言ったつもりだったので、他の展評はフォローしなかった。この機会にあらためて他の青田真也評も読んでみた。

青田真也論は大まかに言って二つのポイントに収斂しているようだ。どちらも表面の「情報」を削ることは同じだが、一方は「何であるか」を曖昧にし、他方は「そうであること」の形相と質量を露呈する。

前者は例えば、ドラエモンを削ることで、ドラエモンがドラエモンらしきものになり、かえって想像と記憶を刺激する。後者は、ピアノを削ることで、ピアノがバイオリンと同じ木質の共鳴体を持った楽器だとわかる。

青田芸術のポイントがこの二つということには異論はないが、不満なのは、誰も「絵画の問題」に触れていないことだ。「絵画の問題」といえば、もちろん「平面と立体の問題」なのだが、コトが難しくならないように端折って言う。前回の『青山/目黒』展に展示された《世界地図》と《地球儀》は、平面の「地図」の方は、削ることで、地図そのもの全部が消えたしまったけれど、立体の「地球儀」の方は形が残った。これが平面と立体の根本的な違いである。

フッサールは遠景は絵に見えると言った。遠景は両眼視差も運動視差もなく、平面的に見えるからだ。青田真也の《蚊取線香》や《ビニール・バット》は遠くにあるわけではないのに絵に見えた。おそらくマットに削ってあって、陰影も反射もなく、背景も白なので、視差が認識しにくいからだろう。

下の写真を見て欲しい。これはすでに写真(picture)だけれど、俯瞰で撮影しているから奥行きが見える。目をテーブルの高さにして、白い壁を背景にすれば、たぶん《ビニール・バット》や《蚊取線香》のように「絵」に見えるだろう。モランディの絵のように。

絵画を見るということの秘密がここにある。

詳しくは記事『青田真也 Shinya Aota』()を読んで下さい。




右=青田真也展「The Information」(横浜市民ギャラリーあざみ野) 
左=「青田真也 2014」(ギャラリー青山|目黒)

スレッド:art・芸術・美術 / ジャンル:学問・文化・芸術

2014.08.01[Fri] Post 12:56  CO:0  TB:0  青田真也  Top▲

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