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千住博は王道を行く 

2007年3月24日、今から7年前のブログです。hikawaseiwaさんのツイッター「いや違うな。”王道”を歩めない人間はいる。ある一定水準は超えていたとしてもいやそれは違うだろと踏み外してしまう人間への愛だ。彼の宿命への共感だ。」の”王道”の言葉を見て思い出した。「彼」というのはたぶん倉山満のことだ。

もちろん、それだけではなく、「『上野の森美術館大賞展』は千住博のためにあるのか」()の補遺としてアップした。

以下全文転載

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 千住博・浅田彰・黒川紀章の鼎談「美の王道」


 黒川紀章展-機械の時代から生命の時代へ-(国立新美術館2007年)に際して行われた千住・浅田・黒川の鼎談「美の王道」をネットで見たので、その感想を書こうと、もう一度ページを検索したら、すでに閉鎖されていた。2ちゃんねるの崇拝者の間で、その場を仕切る達人と評判の高い浅田が、千住と黒川を相手にどんな活躍をするのかもう一度確かめたいと思ったが、しかたない、いい加減なメモをたよりに書くことにする。


 浅田は、「建築文化」の古いバックナンバーを取り出し、そこに載った「現代建築の変容」という黒川との対談のことから話をきりだした。そこで浅田は、黒川が西洋の土木中心主義を批判するのに対して、自分は、たんなるアジア回帰でいいのか、新しい美術館はモノをためこむんじゃなく、半透明なインターフェースをもち、いろんな情報が行き来する開かれた美術館が必要だといっていて、それが、奇しくも今回、この「国立新美術館」として実現したわけでと、自分の先見の明を自慢することから始める。黒川は千住と浅田の背後から観客席のほうをカメラで撮っている。千住が黒川の「花数寄」について、本能的なものと概念的なものの融合だと説明しているうちに、いつの間にか千住の滝の絵の話になって、浅田がアンドレ・マルローは那智の滝(?)を見て、アパリシオン、出現であると言ったと、自分がマルローを那智の滝に案内したことに触れながら、そこには東洋的な時間の概念があるというと、千住は千住で滝はサブライムだと浅田とエールの交換をし、日本の庭園はその中を歩くということが大切で、線対称でも面対称でもなく、XとYの二つの変数が色と形の中間領域の利休鼠がエロティックな建築なのであるとだんだん話がおかしくなってきたところで、浅田が岡倉天心の「茶の本」は1907年に出たと突然言いだして、これはきっとフェノロサなんかを持ち出して、東洋と西洋の文化について蘊蓄を傾け、千住の混乱を整理してやるのかと思ったら、浅田は1907年とういう発行年に自信がなくなったのか、確か,そうだったと思います。あとで見ればわかりますというようなこといって、たぶん「建築文化」のことだろう、机の下を手のひらで示している。なぜ発行年を忘れたぐらいでそんなにあわてるのかわからないが、たぶんクラインの壺と同じに、西暦年は自分の議論をもっともらしくする小道具なのだろう。そんなこんなで浅田はemptyと数寄がどうしたこうしたと天心はそこそこに話は利休に飛んで、利休の侘び数寄はやりすぎのところがあって、茶室は暗くて相手の顔さえ見えないが、そのあとの誰かさんの茶室は窓が沢山あって明るいと、やっとのことで黒川の「花数寄」の話になったのに、千住がまた、花数寄にはお茶のコンセプトあって、異質なモノがぶつかって、コンクリートとガラス、直線と曲線が非常に絶妙に調和していると、まるで料理評論家のような物言い。


 こんな具合にかみ合わないままに二人の話がつづくのだが、一向に浅田の素晴らしい仕切が見られない。ところが、どこから話がそうなったのか思い出せないのだが、浅田が突然「永徳から千住へが王道である」と帯作家の面目を施す。誰のことか判らないが、マーケティングやいろいろと仕掛けるような覇道は十年経てば消えていく、そこへ行くと千住さんは王道、いずれ残るんですといって、これは仲間褒めじゃなくて言うんですけどと付け加えたけれど、さすがに心にも無いことを言ったので恥ずかしかったのだろう、ちょっと褒めすぎですけれどとしきりに弁解しているのだけれど、千住はそんなことにお構いなく、有り難うございます、自分が非難されるのは王道の宿命だと思っていますと応える破廉恥ぶり、何しろ千住は自分の滝の絵を紀貫之の花実相兼の美学を具現化したモノだと言っちゃうぐらいだから、浅田の褒め言葉なんかまだ足りないと思っているのだろう、ルノワールが王道だ、世間は本物が分かっていないとロリコン画家を褒め始め、肝心の黒川のことなんかそっちのけで盛り上がる。そこは、さすがに浅田、我に返って、黒川に話題を向け、商業的に成功したっていいじゃないか、売れたら売れたで何がわるいかというのが私の考えでと、ご都合主義もいいところ、とにかく、永徳を受け継ぐのが千住なら、黒川紀章は丹下健三を受け継ぐ王道だとまとめて一件落着。


 このあと、黒川が座談に加わって、自分のキーワードの共生とかメタボリズムとか花数寄とかの説明をする。すこし滑舌がわるいが、日本文化はミニマリズムではないと、ポストモダン風なことも付け加えてなんとか鼎談の格好をつけた。 千住は宗教のかわりに人類を救えるのは美術だというし、浅田はカント以降は真善美が切り離されたが、これからは黒川のように真善美を合わせて考えていくような発想がひつようだ、と随分と古くさいことをいったりしているうちに鼎談は終わった。 見終わった後の感想だが、浅田はそんな仕切の名人とはみえなかった。細木数子と加藤周一を足して二で割ったような非常に古めかしい感じの知識人で、颯爽としたところもなく、その場を仕切るなんてことにほど遠くて、三人が三人とも、勝手に自慢話をしているだけの奇妙な鼎談でした。 千住博展(山種美術館)へ

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以上
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2014.05.04[Sun] Post 21:50  CO:0  TB:0  上野の森美術館大賞展  Top▲

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