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『上野の森美術館大賞展』の受賞作について考える

市原研太郎のツィートが私のTLに流れてきた。

アートに無知のみならず感受性に欠ける連中が審査員を務める展覧会には参加するな。審査員長を頂点とするアート界のヒエラルキーを維持するためのイベントでしかない。ヒエラルキーを拒否し自由と平等を実現するのがアートであるからには、そのような展覧会に出品することはアートへの背信行為である。

随分と過激な主張のようだけれど、少し前に茂木健一郎が同じように公募展批判をしている。ニョウボ(佐藤順子)は親戚に画家がいるので美術団体のことは知っていたが、上野の森美術館大賞展はその主旨に「既成の美術団体の枠を越えて」とあるので、ものは試しに応募した。

試しといっても、もうじき寿命もつきるので、入選ぐらいしておかないと画歴ゼロでは死にきれない。結局「下手な鉄砲作戦」で100号を三点応募することにした。三つとも落選か、一つでも入選すれば大賞までいくと思っていたらしい。いくらなんでもそれは無理にしても、発表された受賞作を見て黙ってしまった。今年は審査員の大幅な入れ替えがあったらしく、去年と比べると受賞作の質が明らかに落ちている。質が落ちたこともあるが、そもそも何故それが賞に値するのか皆目分からない。

まずは優秀賞。
彫刻の森美術館賞とフジテレビ賞の日本画が二点、片方が具象でもう片方が抽象だ。ところがこの二点双子みたいにソックリだ。なんだろう、なぞなぞみたいだ。ニッポン放送賞は写真を使ったものだがこれも何が面白いか見当がつかない。モノクロで夜の海にサーチライトが照らしている。近頃流行りの写真的な作品だが、きっと優れた描写の技法があるのだろう。最後の産経新聞社賞はタイトルを見ると夜の風景らしいのだが、最初見たときは不謹慎にも、3・11の洪水で火事が起きているのかと思った。ともかくグジャグジャでこんな汚い絵は初めて見た。これも専門家が見ると「凄い」テクニックなのだろう。

そして大賞。
さすがに大賞だけあって、なぞなぞも特大である。いくら二流の公募展といっても大賞(グランプリ)受賞作である。何か取り柄があるにちがいないと探すのだが、何もない。だからといって優秀賞のように魂胆がミエミエということもない。描写技法がひどく凝っている割には、その目的が分からない。アクリルにキャンバスというけれど、素直にみれば、PHOTOSHOPでレイヤーを重ねて作ったように見える。葉っぱが女の裸体の向こう側から股の間を通って、こちらの腿の上に同じ平面上で重なっているのは空間がぺっちゃんこで不自然に見える。なんといっても光がおかしい。女の体が不自然に光が当たって自然光には見えない。中央の奥にライトアップされたような明るい滝があり、屈んでいる女の長い髪が真っ白だ。どうもその辺りに光源があるらしい。半透明の葉もある。

どうやら、王青さんは《玄牝》で古典的な陰影の描写とは違う描写法を使っているようだ。故意に不自然に描くことで、新奇珍奇を狙ったのかもしれない。でも、案に相違してコンピュータやエアブラシを使って描いたようなひどくつまらない作品になっている。陰影や光(線)はレンブラントで分かるとおり、観者の視線や絵画空間を強く支配する。モダニズムはこの陰影や光(線)の描写を捨てることで視線の自由を獲得した。

ヌードは稚拙である。尻の線が『007 慰めの報酬』(昨日たまたまDVDで見た)のタイトルバックに出てくる影絵のヌードダンサーのように、どこにでもあるヌードだ。どう表現していいのかわからないが、たとえアクリル絵具で描いたとしても、映像的な描写の絵画をキャンバス上に描くには相当の技術が必要だ。たぶんこれは推測だが、ネット上ある画像を収集してCGソフトで加工して、プリントアウトしたものを見ながら、アクリルでキャンバス上に描いたのではないか。

もちろんそれがいけないとはいわない。今井俊介や原田郁のようにコンピュータで絵画のシュミレーションをしながら独自の作品を描いている画家もいる。王青さんが「これは、フォトショプで制作した映像作品を(のように)、アクリル絵具を使っでキャンバスに手で描いたポップ・アートだ。リキテンスタインはもう古い」というかもしれない。そうしたら、美術評論家はこぞって褒めそやすのだろうか。彼らは似たようなことを毎日やっている。『美術手帖』4月号はその記録だ。

われわれは「絵画」に還らなければならない。たとえば、王青さんの《玄牝》とルソーの《夢》を比べたら、その主題の類似に拘わらず、片方はジャンクであり、もう片方は紛れもなく絵画であることは、どんな無知な素人にも一目瞭然であろう。

本当はこのブログは佐藤順子のプロモーションのために書いているのだが、逆にますます泥沼にハマっていく。これでは『上野の森美術館大賞展』に来るなと言っているようなものだ。そうなると、佐藤順子の《昭和35年度都立西高等学校入学 1年D組》も見て貰えない。それじゃ困る。今年度の『上野の森美術館大賞展』の見どころは佐藤順子の《1年D組》である。どこを見るのか。「記録と記憶」ではない。「失われた時」でも「昔のクラスメイトの肖像」でもない。見るのは詰襟と女子の私服の平たいパターンを辿り、詰襟と私服の着せ替え人形の首をあちこちへと流れるように移りゆき、そしてその流れに身を任せる愉悦を味わうことだ。(柿栖恒昭)

佐藤順子の《1年D組》を見れば、古い主題絵画と新しいフォーマリズム絵画の違いが理解できる。どうぞ第32回上野の森美術館大賞展(後期5月2日金~5月8日木)にお越しください。(少しはフォローになったかな)



2014.04.01[Tue] Post 22:36  CO:0  TB:0  上野の森美術館大賞展  Top▲

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