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【上野の森美術館大賞展】②: 佐藤順子の《1年D組》とステラの《ブラック・ペインティング》 記憶から形式へ

【上野の森美術館大賞展】①はココ(http://petapetahirahira.blog50.fc2.com/blog-entry-881.html)

《1年D組》のちゃんとした作品論はいずれやるとして、今は急いで要点だけ述べておく。

まず、この作品は「失われた時を求めて」が主題ではない。確かに最初は「記録と記憶」の統合が主題だった。しかし、描いているうちに求めているのは「失われた時」ではなく、「忘れられた絵画」を見出すことだった。

すべては偶然から始まっている。最初の偶然は詰襟の黒い学生服だ。男子の詰襟の黒は女子のカラフルな私服の3倍の面積を占めている。定員の男女比率が3対1だからだ。そして、もう一つ大きな偶然は背景を白く残しておいたことだ。いずれ背景を描こうとF10のときもF100のときも思っていた。しかし、どうしても背景が描けなかった。そのうち何故描けないのか次第に分かってきた。下塗りの余白がその上に「黒い絵具」を載せる支持体になる。黒い学生服が黒い絵具になるということだ。

ちょとわかりにくだろうが、絵画は「知覚に基づいた想像」だということを思い出して欲しい。余白とは白いキャンバス地のことで、絵画の物理的基層であり、この基層の上に絵具が載っている。キャンバス地の「余白」が「黒い詰襟」を「黒い絵具」にする。

さらに、よく見れば、詰襟の輪郭線は両側の黒に挟まれて白い余白の線になっている。平筆で両側からトントンと叩きながら輪郭線を描いた(袖の内側や襟のカラーには白の絵具を使ったところもある)。この塗り残しの線が詰襟の形を描き、「黒い詰襟」は「詰襟の形をした黒」になる。フランク・ステラに《ブラック・ペインティング》というシリーズがある。下にコピペしたのは川村記念美術館所蔵のものだが、常設展示されているものとは違って塗り残しの線が掠れている。川村美術館に行くたびに《ブラック・ペインティング》を見るのだが、面白いと思ったことは一度もない。しかし、佐藤順子の塗り残しの白い線で描かれた黒い詰襟を見れば、《ミニマル・アート》の意味が分かってくる。黒い線のイリュージョンの代わりに黒い絵具の帯(知覚の対象)が現れる。


トムリンソン・コート・パーク, 1959

絵画のミディアムを構成している諸制限とは、「平面的な表面」と「支持体の形体」と「顔料の特性」の3つだとグリーンバーグは述べている。この3つの絵画の条件を《ブラック・ペインティング》はミニマムに満たしている。キャンバスの平面に、矩形のストライプに、顔料のエナメルの3つだ。

《ブラック・ペインティング》の魅力は素材のエナメル顔料にある。そして佐藤順子の《1年D組》も白い余白の上に置かれた詰襟の形をした黒い絵具が美しい。さらに、これも偶然なのだが、キャンバスの右下に絵具の汚れがある。この汚れも後で消そうと思っていたのだが、放って置くうちに次第にその汚れが白い余白の上で輝き始めて、消すことが出来なくなったと佐藤順子は言う。(注1)

白いキャンバス地、その上に黒い絵具、それが詰襟の形をした黒い色面になり、最後に黒い詰襟の絵が浮かび上がる。これが絵画の「知覚に基づいた想像」という意味だ。「物理的図像」の黒い絵具と「図像客体」の詰襟の形をした黒い色面と「図像主題」の詰襟の学生服を着た初々しい新入生、この三層が互いに拮抗しながら戯れている。

まだまだ論じることは沢山ある。集団肖像画としてはレンブランやマルレーネ・デュマスと比較してみなければならないし、女子の鮮烈な黄青の私服の原色をマチスの色と比較することも必要だ。まずは、会田誠の《あぜ道》と比較したときの「失われた時を求めて」の主題、柿栖恒昭の言葉を借りれば「表情表現」なのだが、そうではなく「絵画表現」(バターン表現や素材表現)を論じることで、イラストと絵画の違いについて考えてみた。くどいようだが、イラストより絵画が偉いとか、佐藤順子の《1年D組》が傑作だとか言ってるのではない。未熟だけれど、それでも絵画復活の微かな兆しが見えると言いたいのだ。


注1:「素材」や「余白」については、柿栖恒昭の『現代絵画の再生』から多くの示唆を受けた。柿栖氏の考えはフォーマリズムに近いと思うが、その簡潔なレトリックは目からウロコが落ちる思いである。ネオだ、ポストだ、マイクロだと騒いでいる日本の現代美術家は読むべきだろう。


2014.03.16[Sun] Post 19:40  CO:0  TB:0  上野の森美術館大賞展  Top▲

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