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(4)『漫画とアニメと絵画』:漫画に夢中!

漫画は主人公が「跳んだり、撥ねたり、走ったり、そして着地する」のが楽しみなのだ。最初に夢中になったのはターザンの活躍だ。ツルにぶら下がって「あ~ああ~」と叫びながら木から木へ伝わって象の背中に「着地」する。ときには河に飛び込んでワニと闘うなど、男の子は「あ~ああ~」とターザンの真似を競った。ニョウボは女の子だったけれどターザンが縄で縛られている絵をよく憶えているそうだ。

そういうわけで、山川惣治の『少年ケニヤ』が産経新聞に連載が始まったとき拡販員が熱心に勧めるので、親に頼んで、しばらく購読したけれど、コマ割りマンガに慣れた目には、絵物語を読むのは面倒ですぐにやめた。「跳んだり撥ねたり」は紙芝居の『黄金バット』や『ライオンマン』につながり、そして鉄腕アトムの「ロケット噴射」になった。

横山光輝の『鉄人28号』の連載が始まって、難しい問題が生じた。鉄腕アトムは良心回路のようなものがあるのだけれど、鉄人28号はリモコンで動く。大きくて下から見上げた鉄人28号は力強かったけれど、リモコンで操縦されているのは納得できなかった。当然正太郎がヒーローになった。ところがリモコンが敵の手に渡って、正太郎が無力になると正太郎の魅力もなくなった。 最初は鉄人28号が突然主人の正太郎を思いだしてくれるのではないかと思ったけれど、そんな奇跡は起きなかった。

たぶん正太郎は新しいタイプのヒーローだったのかもしれない。最近知ったことだけれど、「ショタコン」という言葉があって、ロリコンの少年版らしい。『エヴァンゲリオン』の碇シンジタイプとまでは言えないけれど、東浩紀の好きな言葉を借りれば「マッチョ」とは反対のタイプだろう。リモコンが敵の手に渡ったとき、正太郎は「跳んだり撥ねたり」の活躍で敵をヤッツケテくれると期待したが、そんなこともなかった。ヒーローはキャラクターではなく、交換可能な役割なのだ。

「跳んだり撥ねたり」のヴァリエーションとして柔道漫画や野球漫画があり、その他いろいろあって『少年マガジン』から『少年ジャンプ』になる。そしてドラゴンボールが終わって私の漫画の読書歴も終わる。

最近の漫画はよく知らない。それでも「飛んだり跳ねたり走ったり」は映画の中に残っている。『スパイダーマン』がクモの糸で高層ビルのジャングルを飛び回るのは、ターザンだろうし、『インディアナ・ジョーンズ』はそれこそ「跳んだり撥ねたり」の特撮の集大成のようなものだ。しかも、吊り天井や回転する壁や鞭(ムチ)やら、おまけに吊り橋上の格闘まであって、昔の東映時代劇そのままだ。CGを使ったものでは、ゲーム的な『マトリックス』よりも『007 カジノ・ロワイヤル』の冒頭の追跡劇がアナログ風味があって面白い。

コマ割りをした日本のマンガは動きを表わすのには一番優れたメディアだ。ターザンの「蔓づたい」はワイズミューラーの実写映画を見てがっかりしたし、アニメ版の鉄腕アトムが空を飛ぶところはジェット噴射がチラチラ動くだけで間が抜けていた。制作会社の「虫プロ」は日本で初めてのアニメ工房で赤字のためにセル画の枚数を節約をしなければならなかったそうだ。

CGが進歩して映画もアニメも変わっていくだろうし、日本のコマ割り漫画の優位もいつまで続くかわからない。メディア芸術祭の歴代マンガ大賞は「跳んだり撥ねたり」系ではないものもあるし、2012年度の大賞はバンド・デシネ系の『闇の国々』が受賞した。もちろんマンガは国際的なものだし、外国のマンガが大賞を受賞するのはマンガの国際化にも貢献するだろう。しかし、JUDOのように国際化したのはいいが柔道とは似てもにつかぬものになってしまっては、漫画も柔道を笑えない。クール・ジャパンやメディア芸術祭など役人が出てくるといいことはない。

「飛んだり跳ねたり」が現在のマンガの主流なのかどうかはわからない。昭和の昔だっていろいろなマンガがあった。女の子は男の子とは違うマンガを読んでいた。今だってそうだろう。オタクたちのロリコン漫画もある。少女漫画にボーイズ・ラブがある。

それでも「飛んだり跳ねたり」系は永遠だと思うのだが、どうもサブカルチャー批評では次第に論じられることが少なくなっていくようだ。大塚英志の『「おたく」の精神史』、宇野常寛の『ゼロ年代の想像力』、そして東浩紀の『ゲーム的リアリズムの誕生』などのポストモダン批評にとっては、「跳んだり撥ねたり走ったり」はそれこそマッチョなモダン世界なのだろう。

サブカルチャーの隆盛は浮世絵で分かるとおりエロが大切だ。そうならば「飛んだり跳ねたり」よりもロリコンやBLものに未来があるのかもしれない。しかし、児童ポルノ反対派はエロマンガまで禁止しようとしているし、「大きな物語の終焉」を言挙げするポストモダン批評が「飛んだり跳ねたり」系のマンガの衰退に与えた影響は大きい。宇野常寛の批評の対象はよりにもよって《アンチ飛んだり跳ねたり系》のアニメやマンガだし、東浩紀の批評の対象は漫画アニメではなくライトノベルなのだ。

そもそもポストモダン批評というものが私には理解できない。いったい物語は衰退したのか、それともミクロの物語素としてデータベース化されているのか。歴史の終焉と言いながら、「3・11」にはアーティストはみんな大喜びで終末論という巨大な物語を語っていたではないか。一番のポストモダンは、いずれ福島の人たちは癌になってみんな死ぬと言っている人たちではないか。彼らはデータに基づく合理的判断を一切信用しない反モダンニストなのだ。


2014.03.02[Sun] Post 20:20  CO:0  TB:0  漫画とアニメ  Top▲

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