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(2)『漫画とアニメと絵画』:宇野常寛批判 〈本当にサブカルとハイカルはボーダレスか〉

人はアニメをどう楽しむのだろう。アニメの批評はいろいろあるけれど、近頃人生論風社会評論風なものばかりで一向に面白くない。一番話題になったのは『エヴァンゲリオン』の批評だろう。いくつかの論争も生まれている。小谷真理VS山形浩生は何でも「テクスチュアル・ハラスメント」の論争だということだが、もともとつまらぬアニメに二項対立もどきを無理やり見つけて大騒ぎするポモ批評をからかったという至極退屈な出来事だった。

どうやら『エヴァンゲリオン』をいかに論じるかで評論家や思想家の立ち位置が決まるらしい。中でもエヴァンゲリオン論でサブカルチャー批評を確立したのは宇野常寛だ、ということなので、早速Amazonで『ゼロ年代の想像力』を買って読んだ。彼は九十年代の「古い想像力」とゼロ年代の「新しい想像力」を分け、前者を体現するのが『新世紀エヴァンゲリオン』の碇シンジ(引きこもり/心理主義)であり、後者を体現するのが『DEATH NOTE』の夜神月(サヴァイヴ系/決断主義)だという。いったん類型を決めてしまえば、あとは一瀉千里、アニメや漫画のサブカルチャーばかりか、ボーダレスだとばかり、ハイカルチャーもふくめて手当たり次第にあら筋や登場人物を分類して社会評論人生論を展開する。

それはそれでいいのだが、我々は本当に漫画やアニメに社会評論や人生論を求めているのだろうか。他人は知らないが、わたしは人生論なんかより、キャラクターが「跳んだり、撥ねたり、走ったり」するのが大好きだ。普通の言葉で言えばアクションだ。子供の頃母親に連れられてデズニー・アニメを見に行った。一番良く憶えているのは、ダンボがサーカスの空中ブランコの櫓の上から跳ぶ場面だ。耳が大きいのは羽ばたいて空を飛ぶためだったとは予想もしなかったので、飛んだときはひどく感動した。それにくらべ白雪姫の仕草や動きは子供の目にもぎこちなく気取っているように見えて楽しめなかった。

アニメと実写の違いを知ったのは、白黒テレビの『スーパーマン』の放送だ。出だしの「弾よりも速く、力は機関車よりも強く、高いビルもひとっ飛び!」の所が大好きで、毎週楽しみに見ていた。ところがあるときアニメではなく実写版にかわった。とたんに面白くなくなった。メガネを外したクラーク・ケントは間が抜けて見えたし、空に飛び上がるときはドッコイショと言う感じだった。マントはどう見ても扇風機の風で翻っている。二三度見ただけで見るのを止めてしまった。

アニメと漫画の違いは『鉄腕アトム』で比較したことは前回述べた。アニメと言っても当時はTV漫画と言われたように動きが少なかったこともあるが、アニメより漫画の方が断然面白かった。単純に考えれば漫画アニメ実写の順でつまらなくなるのだが、最近のコンピュータによる合成編集の発達でアニメと実写の優劣は無くなってきた。

そうは言っても「跳んだり、撥ねたり、走ったり」の基準から見れば、『007 カジノ・ロワイヤル』の高層ビル建設現場のクレーンからクレーンに飛び移るシーンや『スパイダーマン』がクモの糸でビル街を飛び回るシーンもCGとの合成なのだろうが、ちょっとやり過ぎな感じもする。いずれ技術が進歩して、こういう問題は解決されるだろうし、ジャンルの違いで棲み分けるかもしれない。

「跳んだり、撥ねたり、走ったり」で忘れてはいけないのは子供用のアニメだ。ダンボはもちろんのことアトムもドラえもんもアンパンマンも空を飛ぶ。子供は夢中になるのだろうが、小学生も高学年になれば飽きてくるし、そもそもこれらのお話はアニメバージョンと漫画バージョンにはそれ程の差はない。なぜ差がないかというと「跳んだり、撥ねたり、走ったり」に差がないからだ。日本の漫画が面白いのはこの「跳んだり、撥ねたり、走ったり」の描写がすぐれているからだが、もちろんアクション描写に重要なコマ割りの技術の優秀さもある。

漫画の技術については専門家に任せるとして「跳んだり、撥ねたり、走ったり」から見れば、白土三平の忍者ものが優れていた。特に白土三平は「跳んだり、撥ねたり、走ったり」の他に「着地」の魅力を付け加えた。いま、ハリウッド映画の『スパイダーマン』がこの「着地」の魅力を存分に使っている。

白土三平の忍者ものは史的唯物論だそうだ。なかには白土三平で左翼思想を学ぶなどと言う者もいたけれど、そんなふうに人は漫画を読むものではない。読んで面白いかどうかだ。わたしは「跳んだり、撥ねたり、走ったり、そして着地する」のを楽しむために漫画を読む。同じことが『エヴァンゲリオン』にもいえる。すでに述べたが、ブログを始めたとき、宇野常寛が持て囃されていた。宇野常寛を読んだら『エヴァンゲリオン』を見なければブログは書けないと、TSUTAYAで借りてきた。ところがこれがトンデモアニメなのだ。「跳んだり、撥ねたり、走ったり」全然しない。「サザエさん」か「ちびまる子ちゃん」を見ている気分になった。ときどき「シモネタ」が入るのがなお退屈だった。あれはジェンダーの問題だったのかもしれない。

白土三平のあとは『ドラゴンボール』が一番の贔屓だった。『AKIRA』や『ジョジョの奇妙な冒険』が期待できそうだったが、理屈が多すぎで連載を一回読むのを忘れるとすぐに話しが分からなくなった。年寄りには漫画は無理なのだろう。いや、そんなことはない。『AKIRA』や『ジョジョの奇妙な冒険』は説明が多すぎるのだ。ポストモダンのサブカル批評が影響を与えたのかもしれない。それにくらべ『ワタリ』や『ドラゴンボール』はお話がシンプルでわかりやすい。ともかく、私の漫画歴は『ドラゴンボール』で終わったわけだ。

ついでに付け加えておくと、「走る」については注意しなければならないことがある。子供が「走る」シーンはアニメや漫画によく出てくる。ときどき転んだりする。宮﨑駿のアニメや『はだしのゲン』がそうだ。どういう意図があるのかあらためて言う必要はないだろう。この前ドイツ在住の日本人学生が福島の放射能汚染で外で遊べない子供を主人公にして制作したアニメ『Abita』が国際賞を受賞した。受賞作をYoutubeで見ると女の子が地震でびっくりして裸足で外にでる。周囲が明るくなる。以前は走ってトンボになって飛べたのに、今度は走って跳んだけれどそのまま飛べずに転ぶ。防毒マスクの男が来て女の子を除染してマスクを掛ける。これでは福島の放射能汚染がまるで危険なレベルのような間違った情報をあたえることにならないか。(

この「走って転ぶ」のは非常に安易な漫画アニメの表現方法だ。フランスで騒ぎになった韓国製の慰安婦性奴隷の漫画もきっと「走って転ぶ」場面があるのだろう。別に反日的だからつまらないと言っているのではない。『エヴァンゲリオン』がツマラナクて『ドラゴンボール』が面白いのは、「跳んだり、撥ねたり、着地したり」が面白いからだ。きっと日本側の反論漫画も同じようにツマラナイものだろう。(注1)

宇野常寛は漫画アニメの音痴ではないか。近頃の評論家も美術家もハイカルチャーとサブカルチャーはボーダレスだという。宇野常寛もサブカルチャーの漫画アニメを材料に高級な人生論や社会評論を展開する。しかし、サブカルチャーとハイカルチャーは別物ではないか。『はだしのゲン』を原爆文学として読むことはできる。人生を論じ社会を論じる事も出来るだろう。そうなればハイカルチャーと言えるかもしれない。しかし『はだしのゲン』の通俗的な正義感や憎悪にまみれた描写にどれほど論じるに足ることが含まれているだろうか。他方通俗的な正義感や憎悪であっても、「跳んだり、撥ねたり、走ったり」が面白ければ、それでよい。それがサブカルチャーの真髄だ。

CG技術の発達が予想に反してアニメよりも実写(映画)を面白くしている。もちろんコマ割が使えるかぎり漫画の優位は変わらない。娯楽としての動画に関して言えば、アニメと映画のどちらが勝利を収めるかわからない。今話題の村上隆の『めめめのくらげ』はもはやアニメでもない映画でもなく、両方のミックスメディアというべき作品だが、まだ、実験の域をでていない。

実写とアニメと漫画の空間と運動を考察してきたが、静止画すなわちイラストと絵画と写真の空間と運動についてはまだ触れていない。もちろんイラストにも絵画にも「空間と運動」はある。動画の「空間や運動」とはまったく違うものだ。それを会田誠の《巨大フジ隊員VSキングギドラ》とマチスの《ダンス》の空間と運動を比較することで考えてみよう。

注1:ツマラナイどころかその反論ブースの漫画にはハーケンクロイツが描かれていたそうだ。それじゃ、フランス側主催者が怒るはずだ。

スレッド:絵画・美術 / ジャンル:学問・文化・芸術

2014.02.04[Tue] Post 15:29  CO:0  TB:0  漫画とアニメ  Top▲

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