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ホアン・ヘノヴェスのフォーマリズム

ハフィントン・ポストの《The 10 Hottest Artists At Art Basel Miami Beach》() の先頭にあげられたホアン・ヘノヴェスの《Trayecta》は不思議な魅力を持った絵だ。しばらくは目が離せなかった。横断歩道のゼブラの模様が大きくて人が小さく見える。昼間のように明るいのだが、影は太陽光の影ではなく人工光の影のよう拡散している。拡大してみると人物の体のパーツの釣り合いがおかしいので人というより絵具の塊に見える。

Youtubeにヘノヴェスのインタービューがあったので、文字に起こす。スペイン語を英語に訳したテロップを日本語にしたので分かりにくい箇所もある。それでも、日本の画家や美術評論家のように訳の分からないことは言っていない。簡単にまとめておくと、「抽象より具象のほうがフォーマリズムが生きてくる」ということになる。

これまで私はアヴァンギャルド運動に賛同したことはない。しかし、彼らに積極的な側面もあることは認めていた。常に前進していたし、何か新しいことをやろうとしていた。

私は人々と離れ孤立することは決して好まなかった。作品は人々に理解して欲しかった。少数の人しか私の作品を理解できないのは真っ平ゴメンだった。多くの一般の人々に理解して欲しかった。私の作品を見た人々の心に響いて欲しかった。この共鳴こそが人々と私を繋ぐ言わば「臍の緒」のようなものだ。

アヴァンギャルドの芸術家はこの「臍の緒」に無頓着である。彼らは自分のやりたいことをやり、それが人々の気に入れば「great!(素晴らしい)」という。

そういう一方的な遣り方は好きじゃない。ここには多分私が写真と関連付けている問題がある。誰でも写真というものを理解していると思っている。しかし、そこには切っても切れない「臍の緒」の繋がりがある。これは(モノクロ)写真のように描いているけれど、同時に写真にはない芸術的な問題も提議している。その間には(写真と絵画の間に?)処理しなければならない、そして芸術的に展開しなければならないたくさんの問題が存在する。

それに対して抽象画は同じ方向に向かってしまう。そして何かが失われる。私は心底具象絵画を必要とした。

60歳になる前に、現代絵画を論じたMoridenisの本を読んだ。絵画は家や馬である前に表面であり、絵具で汚れた四角い布だと書いてあった。この言葉を決して忘れない。そして考えた:そう、これは絵(painting)だ。人をあらわしているのか、馬をあらわしているのか、どちらでも良い。わたしに重要なのは、これが絵具のシミ(stain)だということだ。

そのシミを人のように見せるのは、その方が何だか分かりやすいからだ。もちろん別の物でも良かったのだが、人物のほうが親しみやすく安心していられる。

わたしにとって人物(person)は空間のなかの点(point)であり、そしてその空間が絵画なのだ。この空間のシミは人間の形をしている、しかし荷車でもよかった。何であろうとかまわない。空間の中の点が点以上の事物であることが大切で、そうすることが私には幸せなのだ。

絵画とは衝突であり、出会いであり、ニアミスなのだ。絵画をなにか言葉で言い表すのは難しい。複雑にしているのは画家の筆あとが見えることだ:筆あとは物語る。画家がこれを描いたのだ。それがnarrativeだ。なぜなら画家が何をしたか筆あとが教えてくれる。そうなれば、筆あとが物語(story)になる。

絵が語るものとは図像主題(イメージ)が語るものではない。そうではなく絵画が物語るのは、画家がどうやって絵画を描いたのか教えてくれるもの、Brushstrokeが語るものだ。(後は省略)




写真のところは分かりにくいが、冒頭に説明したように、外観は写真に見えるが光は太陽光で、影は人工光になっている。また体のプロポーションは崩れている。絵画は絵具のシミが見えるので写真のつるつるな表面とは異なっている。二つのことなったものが、ここでは写真と絵画が「臍の緒」で繋がっているというわけだ。

また、絵画の意味は図像主題にあるのではなく、キャンバス表面の絵具のシミ、すなわち画家の筆あとにあるという。前者は図像学(イコノグラフィー)で、後者は筆あとや空間を論じているところを見ればフォーマリズムに近いと思われる。いずれにしろヘノヴェスにはPopの要素があるのだけれど、Tokyo Popと言われる村上奈良会田には本来の意味でのフォーマリズムの側面が欠けているのは寂しい限りだ。ポップというのは社会性ともフォーマリズムとも矛盾しない。ヘノヴェスの横断歩道の絵は見ているだけで楽しくなるではないか。

スレッド:art・芸術・美術 / ジャンル:学問・文化・芸術

2013.12.11[Wed] Post 21:47  CO:0  TB:0  ホアン・ヘノヴェス  Top▲

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