ART TOUCH 絵画と映画と小説と

もとは美術展評のブログ 絵画と映画と小説と、そして哲学を少々

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.--[--] Post --:--  CO:-  TB:-  スポンサー広告  Top▲

COMMENT

NAME

SUBJECT

BLOG/HP

PASSWORD

COMMENT

SECRET: ※非公開コメントにしたい場合はBOXにチェックをして下さい ⇒ 

SUBMIT: 送信 

TRACKBACK

スポンサーサイト のトラックバックアドレス
http://petapetahirahira.blog50.fc2.com/tb.php/860-02d5c1a2
 ⇒ この記事に対してトラックバックを送信する(FC2ブログユーザー)

《巨人フジ隊員VSキングギドラ》と《ラオコーン像》

会田誠の《巨大フジ隊員VSキングギドラ》をはじめて見れば、誰だって一瞬何の絵か分からないだろう。アニメの原画らしいことはわかっても、『ゴジラ』と『ウルトラマン』のキャラクタを絡ませた「春画」だとは気づくまい。

落ち着いて見ればフジ隊員とギドラが闘っている図だと分かる。最早決着は付いている。フジ隊員は腹を喰い破られ内蔵が飛び出している。ギドラの首の一つが頭をフジ隊員の性器に突っ込んでいる。逆麟になって抜けないだろう。これはただの暴虐行為で北斎の《蛸と海女》のようなエロティックなものはひとつもない。時間が停止して、死の静寂があたりを支配している。

巨大フジ隊員とキングギドラは性行為をしているのではなく、死闘を繰り広げている。だから《蛸と海女》よりも《ラオコーン像》の状況に似ていると言ったほうが良い。

「ラオコーン論争」というのがある。造形芸術と言語芸術はそれぞれ空間芸術と時間芸術であるとか、美や感情の表現にどちらが優れているとかいった美学上の論争だが、造形美術は見てどう感じるかが肝要だ。《ラオコーン像》を写真で初めて見たとき、こんな複雑で入り組んだものを大理石からノミとハンマーで削るなんて信じられなかった。しかし、歌舞伎役者が蛇を絡ませて見得を切ったような動きのないつまらない大理石像に見えた。

《巨大フジ隊員VSキングギドラ》は絵だけれど、フジ隊員の腕や脚とギドラの長い首がまるで知恵の輪のように絡みついた三次元の描写がなお一層複雑で、その技巧には感嘆するけれども、一瞬時間が止まったように尻もちをついたフジ隊員の無感動な姿がラオコーンの見得を切った姿に重なる。(フジ隊員が無表情なのはバルタン星人に憑依されているからだと後から知った)

中村光夫は三島由紀夫が筑摩書房に持ち込んだ『花ざかりの森』の原稿を読んで-120点を付けたというエピソードを思い出す。たしかに三島も会田も天才だ。そして、会田にも、三島の『仮面の告白』や『金閣寺』のような作品があるにちがいない生まれるだろうか。




2013.09.28[Sat] Post 22:59  CO:0  TB:0  -会田誠  Top▲

COMMENT

NAME

SUBJECT

BLOG/HP

PASSWORD

COMMENT

SECRET: ※非公開コメントにしたい場合はBOXにチェックをして下さい ⇒ 

SUBMIT: 送信 

TRACKBACK

《巨人フジ隊員VSキングギドラ》と《ラオコーン像》 のトラックバックアドレス
http://petapetahirahira.blog50.fc2.com/tb.php/860-02d5c1a2
 ⇒ この記事に対してトラックバックを送信する(FC2ブログユーザー)

Log in*/RSS*】  Design 「AZ+」Plugin Template...  Page Top▲
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。