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会田誠の『Chim↑Pomの〈ピカッ〉』弁護論 ー 美術評論家としての会田誠

芸術家集団「Chim↑Pom」が飛行機をチャーターして、広島の上空に《ピカッ》と描いて、被爆者団体から批判され、2ちゃんねるが炎上した。会田誠はその2ちゃんねるの批判者たちの事実誤認を訂正することで、Chim↑Pomを擁護した。

批判と言っても2ちゃんねるの批判だもの、その多くは常套句の繰り返しだから、反論はそう難しものではない。そうではあるけれど会田誠の文章はまったく過不足のない、ポイントを的確に指摘して、一つの見事な「現代芸術論」になっている。

だからと言って、《ピカッ》を手放して賞賛しているわけではない。否定まではしないが、芸術作品としての評価は展示するまで何とも言えない。あるいは滑ったかもしれないし、ヒヤヒヤしながら見守っていると会田は言う。

現代アートで重要なことは拍手喝采を受けることではない。時には嫌悪されることも必要だ。会田はChim↑Pomたちがおそらく理解していなかった《ピカッ》の隠れた意味を理解していた。だから会田はリーダーの卯城竜太に電話して「アーチストは安易に謝罪すべきではないんじゃないか」と伝えている。謝罪しては現代芸術本来の挑発や批判の意味がなくなってしまうからだ。

《ピカッ》には二つの意味がある。一つは卯城が影響を受けたという中沢啓治作の『はだしのゲン』の表側の意味である。《ピカッ》によって地獄が出現する。卯城は中国新聞の取材に対して「問題になるのは予測していた。被爆者を傷つけたとしたら心が痛むが、若者と戦争を知らない世代の関心を呼びたかった」と答えている。まさに「ピカドン」は地獄の合図なのだ。中沢啓治は『はだしのゲンはピカドンを忘れない』の中で被爆者を助けてくれなかった日本人に対する怒りを顕にしている。ところがChim↑Pomたちは過ちを犯した。中沢啓治は聖なる放射能を浴びた被爆者だけれど、卯城たちは浴びてはいない。

この放射線被曝による聖別が《ピカッ》のもう一つの意味だ。被曝は聖なる血となって二世三世に遺伝すると被爆者たち主張する。いつだったか、原爆記念式典に広島が、被曝三世は初めてだといって、ときどきお腹が痛くなるという中学生(?)にスピーチをさせた。すると長崎はすかさずそれならこっちは被曝四世だと応じていた。長崎は広島に対抗心があるらしく、「ノー・モア ヒロシマ」は、「ナガサキ」に対する差別だといって、近頃国連の会議などでは、両方の市長が仲良くかわりばんこに掛け合いスピーチをしている。

なんだか「原爆祭り」の村おこしに思える。そんなに原爆が好きならばと、もう一度《ピカッ》とChim↑Pomがやってくれたのかもしれない。まさかそんなことを会田誠が考えるはずはないと思うけれど、2ちゃんねるに、会田がフェミニストに絡まれたときのスレッドがある。会田は、「僕は『ーーイスト』の教条的な言語の使用法=思考法と断固対決するために芸術家をやっています。」と反論しているのだから、この被団協の教条主義的な思考法に対決するためにChim↑Pomが《ピカッ》をヒロシマの空に描いたと会田が解釈したとしても不思議はない。だから、謝罪するなとアドバイスした可能性だってある。

いずれにしろChim↑Pomは被爆者団体に謝罪した。卯城は「謝る部分はあやまり、謝らない部分は謝らない」と言ったそうだが、「謝る部分」は分かるとして、「謝らない部分」が分からない。事前に説明しなかったことは謝罪するけれど、悪意があったわけではないということだろうか。

蔡國強が同じような《黒い花火》のイベントを行ったが、クレームはつかなかったことに会田は触れている。事前に市民団体などに説明してあっただけではなく、そもそも蔡は国際的に有名なアーティストであり、しかも中国人なのだから被団協が自分たちの政治的目的に大いに役立つと考えたとしても不思議はない。

身もふたもない事を言えば、Chim↑Pomが謝罪した被団協の人たちは騒いでもらって注目されたほうがいいに決っている。ヒロシマ市長にとっても原爆祭りが盛り上がるかどうかが重要だ。どちらもひとまずは「被爆者の心の痛みを理解しない」と言って、Chim↑Pomの非常識をナジッておいたほうがいい。

相手が弱者の論理を持ち出すなら、こちらだってと思ったのかどうかしらないが、会田も卯城が社会正義や弱者救済というテーマが当然の環境に育ったことを付け加える。こうなれば完全に被団協のペースである。謝罪は受け入れられたようだが、当然被団協の活動を応援しなければならなくなる。もちろん卯城竜太は《はだしのゲン》に影響を受けたというのだから、もともと被爆者救済や反核運動には賛成だったと思われる。

会田誠は若い芸術家集団を気遣いながらも、2ちゃんねるの批判者よりもChim↑Pomは大物になるかもしれないと期待している。それでも、福島の原発事故のときの岡本太郎の《明日の神話》への継ぎ足し騒動を見れば反原発運動のお手伝いをしているとしか思えない。他方では、反核反原発のアートとして国内だけではなく、村上隆のキノコ雲で分かるようにヒロシマの原子爆弾は唯一世界で通用するジャポニスムなのだから、Chim↑Pomが国際展に招待されても不思議はない。

会田の『戦争画RETURNS』のシリーズに《題知らず》という絵がある。パルテノン神殿の中から原爆ドームが上に突き出ている図柄だ。会田の意図がどんなものか分からないけれど、単純に原爆反対が主題ではないのは想像できる。キリスト教と並ぶヨーロッパ文明の象徴でもあるパルテノン神殿の真ん中に彼らが犯した最大の犯罪行為を記念する原爆ドームが鎮座するというアイロニーを表現しているのかもしれない。あるいはただの身のほど知らずのイエローモンキーと思われるだけかもしれない。どちらにしろ欧米人が見たらちょっと不快に思うだろう。こういうところが会田誠がドメスティックといわれる理由だろうが、同じドメスティックと言われる大竹伸朗はもちろん、反対にジャポニスムで国際的な地位を得た村上隆などよりはるかに欧米のポストモダン・アートの文脈にそっているのだ。

会田はChim↑Pomを擁護するつもりで2ちゃんねる批判をはじめたけれど、どうやら擁護に失敗したようだ。Chim↑Pomは謝罪してしまったし、作品は写真を使ったインスタレーションなのだから、全体ができあがらなければ現代美術は評価できないという弁解にも無理がある。Chim↑Pomがスベったことを半ば認めているのだが、スベったのは会田誠の方であり、会田誠の予想に反して、Chim↑Pomは「美術界の主流」に乗っている。

それにもかかわらずこのエッセイは優れた「現代アート論」になっている。2ちゃんねるの罵倒に罵倒で答えるのではなく、事実誤認があればChim↑Pomに代わって説明し、美術業界の持つ危うさがあれば率直に認める。そのうち2ちゃんねるを本格的に分析して何らかの形で発表したいと最後に書いている。会田誠はすぐれた画家であるばかりか、当代随一の美術評論家でもあるのだ。




スレッド:art・芸術・美術 / ジャンル:学問・文化・芸術

2013.08.20[Tue] Post 15:07  CO:0  TB:0  -会田誠  Top▲

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