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⑨『ポロック展』:抽象画の見方と見え方 《知覚に基づいた想像》

随分と混乱した記述が続いたので、もう一度おさらいしておく。

まず、知覚と錯視と想像の三つを区別する。これらは、実際の絵画や彫刻、あるいはオブジェの観賞では入り交じっている。従って明確に区別するのは難しいけれど、基本的には知覚の対象は物質的な事物であり、錯視で見えるのは「イリュージョン」であり、そして想像されるのは「像主題」である。これら三つは、「知覚」自身はもちろんのこと、他の二つもその根本に知覚がある。

錯視は、知覚心理学が研究しているいわゆるイリュージョンのことだ。イリュージョンには本来の錯視、すなわち「異常な」知覚と、まったく正常な知覚なのだが、心理学が自然科学的態度で勝手にイリュージョンに分類したものがある。

ポンゾ錯視は後者の例だ。これは心理学者が鑑賞的態度と自然科学的態度を区別しないことから生じたニセの錯視だ。科学的態度では同じ長さなのに、鑑賞的態度では、長さが違って見えるということだ。この錯視は、オプ・アートのように同じに見えたり違って見えたりチラチラするわけではない。もちろん、絵画を見るときは鑑賞的態度で見るわけだから、二本の線分がポンゾ錯視の影響を被っていようがいまいが、見えるとおりに見ればいいだけの話だ。

「異常な知覚」の錯視にはいろいろある。この仲間の錯視は正常な知覚ではないという意識がともなう。場合によっては、通常の知覚と交替に現れることもある。たとえば、親指が二本ある手の錯視だ。正常な知覚では二本の親指がV字型に付いている。もちろん親指が二本の手は変で違和感を感じる。そのためだろう、次の瞬間に指が前後に激しく動く。もちろんこれは錯視であり、正常な知覚は二本の親指が付いた手であり、前後に動く親指のイリュージョンと交替で現れる。

もっと絵画に都合の良いイリュージョンがある。陰影による凹凸のイリュージョンだ。円に陰影をつけると凹に見えたり、凸に見えたり、浮き上がって見えたりする。円に濃淡をつけただけの平面図形の知覚にはなかなかならないけれど、それが錯覚であることは、凹凸を触って確かめたくなることや、頭を動かせば凹が凸に変わるなどするので判る。同じように円が凸に見えるけれど、錯視ではない例がある。円にサッカーボールの模様を描けば、それは常に凸に見える。サッカーボールは球だからだ。しかも、凹に見えるような陰影をつけても凸のサッカーボールにみえる。これは、イリュージョンではなく、図像主題の想像なのだ。

静物やヌードや風景などの図像主題のことをイリュージョンと言っているけれど、これはイリュージョンではなく、想像なのだ。想像といっても自由な想像ではなく、知覚に基づく想像だ。「錯視」と「知覚に基づいた想像」は、以前のブログでは、「オプティカル・イリュージョン」と「ピクトリアル・イリュージョン」と私が区別していたものだ。この二つのイリュージョンは容易に区別できる。錯視の方は、正常な知覚と同時に表われない。イリュージョンが現れているときは、知覚の対象は現れない。一本の親指が動いているイリュージョンが見えるときは、二本の親指の知覚は見えない。それに対して、図像主題は「知覚された図像客体」と「想像された主題」の両方が同時に現れている。クールベの《ルー川の洞窟》の黒く塗られたキャンバス表面と洞窟の暗闇の空間は「同時に」見えている。これが、「知覚に基づいた想像」ということだ。

この知覚に基づいた想像が「中和変容」である。なんども繰り返しているけれど、これを理解しないと絵画が理解出来ない。フッサールがあげているモノクロ写真の例をもう一度書く。モノクロ写真の人物の灰色の肌はピンクの肌に見える。灰色は知覚している色彩で、ピンクは想像している色彩だ。知覚というのはその知覚しているものの存在を定立するのだが、その定立作用を休止して括弧に入れるのが中和変容なのだ。《ルー川の洞窟》の黒い表面は相変わらず知覚されているが、それは中和変容を受け、その黒に基づいて洞窟の暗闇のイメージが想像されている。

さて、この「知覚に基づいた想像」は図像主題の現れ方であって、主題とは具象的対象のことである。上で述べたように、サッカーボールは図像主題であり、陰影を付けた円の見え方は抽象的な形体のイリュージョンであった。二つの見え方の相違は、ポロック理解にも重要である。次回にさらに詳しく考えて見たい。

備考:この「知覚に基づいた想像」すなわち「中和変容」は、絵画の神秘である。これはフッサールが図像主題に関して述べたもので、想像されるのは具象的対象のことである。しかし、抽象画にも「知覚に基づいた想像」があるのではないか。




2011.12.29[Thu] Post 00:40  CO:0  TB:0  ポロック展  Top▲

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