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⑧『ポロック展』:ロスコの《シーグラム壁画》とポロックの《インディアンレッドの地と壁画》

ロスコの絵画表面が知覚しにくいというのは、錯視的なイリュージョンが邪魔だということでもないし、具象画のように図像主題のイリュージョンが邪魔するということでもない。ロスコのイリュージョンは錯視でも想像でもない。焦点があっているのか合っていないのか判然としない感覚が知覚とイリュージョンの間を揺れているような奇妙な感覚だ。

ロスコのイリュージョンについては、様々な議論があるけれど、さしあたって、錯視でも想像でもなく、「知覚のイリュージョン」という矛盾した言い方で満足して置かなければならない。このことが絵画の平面性に関わっていることは、ジャッドが絵画からどうしてもイリュージョンが排除できないので、立体に向かったという言葉で分かる。立体は、作品の空間と観者の空間が連続した同一の空間に属しているので、観者が動くことで作品の見え方が変化する。それに対して平面は観者が少しぐらい動いても絵画イリュージョンの見え方が変化することはない。絵画の想像空間(イリュージョン)と観者の身体空間が絵画平面で切断されているからだ。変化するとしたらそれは絵具の盛り上がりや表面の反射やキャンバスの縁など知覚されている物理的絵画である。

絵画も当然知覚されている。ただ、それがイリュージョンに隠されているだけで、注意を向ければ、いつでも物理的絵画をみることが出来る。その知覚された物質的絵画を顕現露呈させるのがイリュージョンのない抽象画であり、ミニマル・アートだ。そして、絵画は「矩形の平たい立体」ということになる。そうなった時、絵画の空間と観者の空間は一つになり、観者は身体的存在になる。イリュージョン空間には観者が自分の「想像的身体」で歩いて入っていけるのに対して、知覚された3次元空間には観者は想像的身体ばかりではなく、「現実の身体」で歩いて入れる。ジャッドのキューブを並べた立体作品は、その周りを回れるし、インスタレーションは文字通り作品の中に歩いて入れる。知覚するということは、作品と身体が関係を取り結ぶということでもある。

ロスコの《壁画》には錯視も想像(図像主題)もなかったけれど、ポロックの《インディアンレッドの地と壁画》はすでに述べたよう強い錯視的イリュージョンが現れる。まず、遠くから見ると絡まった黒と白の網が浮き上がって見える。ちらついているわけではないが、明らかに正常な知覚ではない。立体視をしているような浮き上がった感じがする。しかし、黒いメタルフレームの額縁はキャンバス表面の高さに知覚されている。黒や白の線の盛り上がりはキャンバスの縁に向かって減少して、キャンバス平面に重なる。この凸の感覚のために、観者は絵画表面を知覚することができない。

近づくにしたがって、イリュージョンは弱まり、全体が見渡せないぐらいに近づくと、絵画表面の知覚が現れる。背景に赤褐色が塗られ、銀・黄・橙、そして白、最後に黒の線が重なっている。重ね合わせの遠近法と大小の遠近法、それから線の太い細いの遠近法がある。そこには奥行きのイリュージョンがあるけれど、もちろんそれは抽象的な空間であり、歩いて入ることはできない。

この空間は、目で見るだけの抽象的空間のイリュージョンだということではロスコの空間と似ているけれど、ロスコの絵画表面の焦点の定まらない曖昧さはなく、ハッキリと絵画表面が知覚されている。そしてその知覚された絡まった網目の隙間に空間が見える。この空間はクールベの《ルー川の洞窟》のような図像主題の空間ではないが、同じ「知覚に基づく想像」による空間のイリュージョンだ。われわれは比較的浅い奥行きから、網目の奥の深い奥行きまで見る(想像する)ことができる。

さらに、その後がある。少しでも頭を動かすと、奥行きの想像が突然錯視になる。奥行きが立体視のようにリアリティがなくなり、そのかわり視線の移動にあわせて運動視差が見える。遠くから見たときの凸の錯視ではなく、凹の錯視だ。凹の錯視は、カタログの写真でも確認できるけれど、凸の錯視はカタログの写真では見ることはできない。

以上のことはあくまで暫定的な記述であり、確定的に言えることではない。そのことは東京の『ポロック展』を見てから再度考えることにして、ひとまず言えることは、同じ抽象表現主義とは言え、ロスコの《壁画》とポロックの《壁画》では、随分とそのイリュージョンの見え方が違うということだ。次回は、いったい抽象表現主義とは何かをグリーンバーグの評論から読み取ってみよう。







2011.12.24[Sat] Post 22:15  CO:0  TB:0  ポロック展  Top▲

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