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④『ポロック展』:知覚・錯覚・知覚に基づく想像

前回、立体は知覚(物質性)が優位であり、平面は想像(イリュージョン)が優位だということを書いた。もちろん、彫刻にもイリュージョンはあるし、平面にも知覚はある。こうなるといつものように、話が複雑になって混乱してくる。もういちど整理しておく。

まず、立体と平面がある。立体と平面にそれぞれに具象と抽象がある。具象的な立体は彫像塑像で、具象的な平面は絵画(picture)だ。これらの分類は、対象の分類である。それに対して見る方、意識の区別がある。それが、これまでも繰り返し述べた「知覚、錯覚、想像」である。最後の想像は自由な想像ではなく、知覚に基づいた想像、すなわち、図像意識と言われるものだ。以下、想像と言ったら自由想像ではなく、知覚に基づいた想像、すなわち図像意識を意味することにする。これは立体の像もふくむ。

彫刻でも絵画でも、像を見ることは想像なのだが、絵画では容易に想像が働き、イリュージョン(図像主題)が見えるのだが、彫刻では知覚が優勢なので、イリュージョンが見えにくい。どうしても、人物や事物の形をした物質が見える。ジャコメッティの《台の上の4つの小彫像》は、小さい四人の人間の形をした鋳物を知覚する。しかし、じっと見ていると、等身大の人物が遠くにいるように見えてくる。これは錯視ではなく想像である。小像の想像空間は、絵画の想像空間と同じように、観者の知覚空間から切り離されている。彫刻では、この想像空間と知覚空間の区別は難しい。どちらも3次元の空間だからだ。しかし、絵画では区別は容易だ。絵画の想像空間は三次元だが、平面上の線や色の知覚は二次元だからだ。もちろん、絵画の奥行きの空間は想像しているのであって、錯視(的知覚を)しているのではない。

この「知覚に基づいた想像」は「(図)像意識」であり、立体像(彫刻)であろうと平面像(絵画)であろうと、客観的像を知覚しながら、それを物質的に存在するものとして捉えずに(現象学ではこれを中和化という)、想像に変容する。『絵画の現象学』で書いたように、モノクロ写真の灰色の肌をした5センチの少年を知覚しながら、それをピンクの肌をした120センチの少年として見て(想像して)いるわけだ。平面上にだんだん狭くなるように描かれた線路が、だんだん遠くに消えていくように見えるのは、錯視的知覚のイリュージョンではなく、平面的な図像の知覚をもとに奥行きの空間を想像しているのだ。

錯視のイリュージョンは両眼視差を利用した立体視や「首振り立体視」以外にもある。抽象画ではオプ・アートのチラつきがよく知られている。これは、藤枝晃雄は「視覚の生理化」と名付けて、絵画的イリュージョンとは区別している。また、具象画にもオプ・アートがある。「二本の親指が付いた手」が一本の親指が前後に動いているように「チラチラ」見えるのは、単純な生理的反応ではなく、親指は一本だという図像主題の影響を受けているのだけれど、これも、錯視的イリュージョンの仲間である。さらに立体像にも錯視的イリュージョンはある。ジャコメッティの《頭蓋を欠いた頭部》は欠けた部分が盛り上がって見えるし、ニキ・ド・サンファルの《世界(ナナの像)》は「立体遠近法」の錯視的イリュージョンが現れる。「立体遠近法」というのは、知覚の奥行きと、絵画の想像の奥行きを組み合わせて、錯視的イリュージョンを生み出す方法だ。シュテファン・バルケンホールの人物木彫やレリーフは、絵画的な方法と彫刻的な方法を組み合わせ、すなわち想像と知覚の組み合わせで錯視的なイリュージョンを生み出している。

芸術作品を見ることは、知覚と想像と錯視が組み合わさっていて、何がどういう具合にどのぐらいなのか分けることは難しい。絵画的イリュージョンは、知覚に基づい た想像ではあるが、知覚された物質性が完全に中和化されているわけではない。図像客体と図像主題は緊張関係にある。また、バルケンホールの作品のイリュージョンは知覚の空間と想像の空間が協働している。そういうわけで、グリーンバーグがいうように、モダニズム は支持体の平面性の知覚を率直に宣言しているのだ。

以上のことで、ひとまず、いえることは、絵画芸術の秘密は、「平面性」と「知覚に基づいた想像」にあるらしいことだ。そして奥行きあるいは空間には知覚空間と錯視的空間と想像空間があるのだが、おそらく絵画芸術の空間からは錯視空間を外すことができるように思える。というのは錯視というのは何度も指摘しているように、正常な知覚ない、錯視的知覚だからだ。われわれは、ここで、錯視的な空間でもなく、再現的な空間でもない第三のモダニズムの空間を考えなければならない。それは、もちろん抽象画の問題でもあるのだ。

おそらく、想像から知覚へ、そして図像から記号へと一旦は視点を変えて論じることになるだろう。


次回へ

2011.12.04[Sun] Post 23:57  CO:0  TB:0  ポロック展  Top▲

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