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もとは美術展評のブログ 絵画と映画と小説と、そして哲学を少々

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③『ポロック展』:《インディアンレッドの地の壁画》の黒いフレーム

愛知県美術館の『ジャクソン・ポロック展』で書き忘れていたことがある。《インディアンレッドの地の壁画》が黒いフレームに嵌められていたことだ。カタログの写真にはもちろんこの黒フレームは写っていない。それに、黒や白のポーリングの密度がキャンバスの縁では疎らになっていることだ。その両方が相俟って、毛玉のように絡まった線が絵画平面から余計に強く飛び出して見えたのではないか。この黒い枠は、ポロック自身の考えなのか。それとも、現在の所有者の趣味なのか。古典名画を金の額縁に入れるのとは違って、抽象画を黒いフレームに嵌めることは、随分と作品に影響する。図像主題のないポロックのポード絵画では黒い枠は、内部の黒や白の線に影響を与えているだろう。

今回の展覧会の最大の呼び物である《インディアンレッドの地の壁画》は、ポロックの絶頂期の1950年の傑作の一つだというのだが、そのあまりに暴力的なイリュージョンが、本来の絵画表面を見ることを不可能にしている。かなり近視的に焦点を合わせれば、立体視のイリュージョンは消え、絵画平面が見えてくるのだが、観者が少しでも動けば、すぐに運動視差を伴う奥行きの錯視が観賞を妨げる。藤枝晃雄は「見える所が絵画」になると言う。観者はまず何よりも全体が見渡せる位置から見たいと思う。しかし、黒枠が視野におさまる距離から見ると、どうしても立体視が現れ、「絵画」を鑑賞することができない。

図像主題のない抽象画を観賞するときは、いったい何を見ればいいのだろう。リンゴやヌードを見るわけに行かない。そんなものはもともと無いのだ。それなら線や色を見ればいいのか。デ・クーニングの一本の線は「おんな」を表しているけれど、ポロックのポーリングの線は何を表しているのか。展覧会カタログの巻頭にヘレン・A・ハリソンが『生きることと制作はひとつ』というポロック論を寄せている。最後の結論部を引用する。

ポロックにとって、芸術とは存在の本質、そして積極的なエネルギーの経路     彼自身の内部にある葛藤、そして20世紀半ばの文明が抱える実存主義的危機への対抗手段     であった。これらを明確に表明するため、ポロックは普遍的に理解することのできる絵画言語を発明したのである。この展覧会で展示される作品は、この彼の功績の射程と深さを明らかにするもである。


日曜画家ではないのだから、「制作が生きること」なのは当然として、「存在の本質」とか「エネルギーの経路」とか「内部の葛藤」とか「実存的危機」とか、おそらく、アクション・ペインティングの理論を無理矢理、実存主義や精神分析でアレンジしたものだろう。たしかに、初期や晩期の作品にはポロックの苦悩の表現、あるいは深層心理といったものが認められるが、絶頂期のポード絵画には主観的な表現が皆無とはいわないまでも、表現主義といえるほどには無いと言える。

それならポード絵画に何を見たら良いのか。東京新聞(11/12)の文化欄に古谷利裕が 「MOTコレクション展『布に何が起こったか?/1950~1960年代の絵画を中心に』」についての美術評『揺らぐ表面と支持体の関係性』の中で、「表面とは我々が見ている『物の一番手前』に位置する面で、支持体とはその『見えるもの』を支えている『見えない』物質的基盤のことだ。」という。これは、60年代末のフランスの芸術運動「シュポール/シュルファス」の思想なのだが、古谷利裕は、この見える表面と見えない支持体の関係を「見る事の見えない構造」というのだ。こうなると、いつものことなのだが、古谷利裕の言っていることは、キーワードを文学的哲学的な修辞でこねくり回すばかりで、絵を見ることの意味が皆目分からなくなる。

この「構造」というのはいったい何か。構造主義の構造のことなのか。たとえば、目に見える婚姻制度の背後に見えない交換の構造があるという。あるいは、言語記号の差異のシステムのような構造が表面と支持体の間にあるというのか。擬似哲学的な理論はともかく、古谷氏は表面と平面をごっちゃにしている。表面は古谷氏も言うように「物の一番手前」だから、彫刻にも絵画にも表面はある。シュテファン・バルケンホールの木彫は木肌の表面もあるし、彩色がしてあるので絵具の支持体にもなっている。「支持体と表面」ということであれば、彫刻と絵画に区別はない。絵画もまた平たい3次元の立体なのだ。

それなら、「支持体と表面」ではなく、「立体と平面」はどうだろう。ここで我々は、グリーンバーグの平面とイリュージョンの問題に直面する。グリーンバーグは平面性をモダニズムの自己批判の視点から論じているので、ここでは、より明快に立体と平面の違いを述べている藤枝晃雄に従っておくと、平面(絵画)はイリュージョンを持ちやすく、立体(彫刻)は持ちにくいということだ。

この媒質は(絵画)何も描かれていない支持体=純白のキャンバスですら壁に掛けられることにより物体性を超えたまさにミニマルなイリュージョンをもたらす。(『現代芸術の不満』p76)

彫刻が絵画よりも現実的であるということは、そのミィディアムが平面芸術に比べて、イリュージョンをもちにくい性格をおびているからである。(『現代芸術の彼岸』p102)


なぜ、彫刻がイリュージョンを持ちにくいかは、これまでも、繰り返し述べて来たことだけれど、もう一度言っておくと、立体では基本的に知覚が優越的に作動するからだ。現実的な三次元の対象をみるときは、両眼視差や運動視差、輻輳角と水晶体の焦点調節などが働いている。そして、このことはどんなに強調しても強調しすぎることはないのだが、知覚では、知覚している事物が置かれている空間と観者が立っている空間とは連続した同一の空間なのだ。このことは、観者が動けば彫刻は違ったように見えるということだ。そして、むしろ、見える形が変化するということが、まさに三次元の事物の知覚を可能にしているのだ。

これに対して、絵画では、両眼視差も運動視差も、そして輻輳角も水晶体の焦点調節も働かない。というのも、平面は観者の位置を変えても、三次元の知覚とは異なり、描かれた事物の形は変化しないからだ。近づいたり遠ざかったりすれば、キャンバス表面までの距離が変化するから、水晶体の焦点調節もそれに応じて変化する。しかし、絵に描かれた事物の遠近に応じて焦点調節が異なるわけではないし、両眼視差も運動視差も生じない。観者が絵画に描かれた遠景を見るときと近景を見るでは、同じ距離の絵画表面に焦点が合っている。遠景も近景も観者からは同じ距離の同じ物理的平面上に知覚されており、運動視差も両眼視差もないのだから、絵画の奥行きというのは知覚ではなく、イリュージョンだということになる。

この具象画の絵画空間は、グリーンバーグの言う「人が歩いて入っていける自分を想像し得るような空間のイリュージョン」のことだが、これは本来の意味でのイリュージョンではない。われわれは、イリュージョンをオプティカル・イリュージョンとピクトリアル・イリュージョンに分けた。歩いて入れるのはピクトリアル・イリュージョンの方だ。

オプティカル・イリュージョンとはそうでないのにあたかもそうであるかのように見える錯視的知覚(イリュージョン)のことだ。両眼視差のある二枚の写真を平行視(交差視)すると立体的に見える。しかし、その立体視、あるいは奥行きは「正常な」知覚ではない。何か浮き上がったような、非現実的な感覚が伴う。交差法ならバーチャルな焦点が写真の表面より手前にあり、平行法なら表面より遠くにあるからだ。これは明らかに「正常」ではない錯視的知覚だ。

それなら立体視を止めて、一枚の写真としてではなく、普通に二枚の写真として見れば、それは通常の光沢のある印画紙の知覚である。そこに写真の客観的図像が見える。それぞれの写真に注意を向ければ、そこには奥行きや三次元の事物が見える。しかし、この奥行きは、立体視のオプティカル・イリュージョンとはまったく異なる奥行きのピクトリアル・イリュージョンである。そこにはオプティカル・イリュージョンのように「正常ではない知覚」という非現実感はない。

絵画のいわゆるイリュージョンは「知覚に基づいた想像」であり、錯視的な知覚ではない。このことが絵画芸術の最も重要なことなのだが、なかなか理解されない。もう一度確認しておくと、絵画を見るというこは、知覚、錯視、知覚心理学的視覚、知覚に基づいた想像の4つである。これらはすべては知覚の仲間である。自由な想像や見えない構造、あるいはコンセプチャル・アートの概念などは、絵画を見ることとはさしあたって関係のないことだ。

次回につづく。










2011.11.28[Mon] Post 21:36  CO:0  TB:0  ポロック展  Top▲

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