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『生誕100年 ポロック展』愛知県美術館

ポロックの個展を見る機会は一生訪れないと思っていた。それが、日本初回顧展と銘打って11月11日から愛知県美術館で『ジャクソン・ポロック展』が開催される。東京の国立近代美術館でも開催されるのだが、今回は名古屋まで行くつもりだ。

藤枝晃雄が「ポロックが分からないものども」と言うとき、それは絵が分からない評論家と言う意味だが、何を隠そう私もポロックが分からない。そのことは以下のブログを読んでもらえば判る。


ジャクソン・ポロックの問題(1)

ジャクソン・ポロックの問題(2)

ポロックが易しいというなら、自分でやってみろ。【首振り立体視①】

ポロックの空間の秘密  【首振り立体視②】


分らないのは、あまりポロックを見ていないからだ。ロスコに感動したのは、東京都現代美術館の個展(1996年)で、沢山の作品を年代順に見たからだ。そう思って今回のポロックの回顧展を楽しみにしている。

首振り立体視で見えた「運動視差」は、オプティカル・イリュージョンであって、ピクトリアル・イリュージョンではない。現実の三次元の空間ではないにも拘らず、あたかも三次元空間のような運動視差が生じているわけだ。運動視差のイリュージョンが生じるのは、そこに何らかの遠近のイリュージョンがあるからだ。少なくとも、ポロックのポード絵画に「重なりの遠近法」と「大小(細太)の遠近法」があることは容易に判る。もちろんこれだけでは、運動視差のイリュージョンがこれほど強く生じるとは思えないが。

藤枝晃雄の『ジャクソン・ポロック』は、何度か挑戦したけれど、初めのほうで挫折した。かわりに『現代美術の展開』に収められた『現代美術の〈不安〉』に次の言葉を見つけた。

ポロックにおける緊張は、焦点のあるようなないような、遠視と近視の状態の間におけるそれである。
ポロックの絵画は、近視と遠視の間に立って焦点を求め、縮小したり拡張したりする。それはキャンバスという決定的な焦点のなかにはじめから描かれるのではなくて、描かれているものが絵画になるのである。ポロックの作品から芸術表現が失われているのではないが、画面に近づけば、それは不規則な網目でしかないし、遠ざかれば壁になってしまうといわれるのはそのためである。(p27)


相変わらず難解であるが、ポロックの遠近法(奥行き)の秘密が、遠視と近視のあいだの焦点の問題だと言っている。もちろん焦点の問題だとすれば、それはオプティカルなイリュージョンと思われるが、あるいはそうではなくピクトリアルなものかもしれない。今のところ私には、それが何か分からない。ただそれが運動視差のイリュージョンを生んでいることはまちがいない。名古屋でポロックを見ながら考えたいと思う。






2011.11.11[Fri] Post 01:28  CO:0  TB:0  美術展評  Top▲

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