右図は岡田さんのブログ「『見える通りに見る』ということ」からコピペした。遠近法とポンゾ錯視を合わせた図像ということだ。図像には以下の説明がついている。
この単純な図柄において、私だけでなく多くの人に奥行き知覚が為されているだろうという推測は、次のことによっても補強できます。私はこの絵に重ねた、コピペによって作った、赤い二本の線の上が下より、長く太く感じられるのです。
そしてこのような私の知覚はポンゾ錯視として一般的に認知されている錯視だからです。
二本の赤い線の上が下より、長く太く感じられるというのは良い。さらに私には上の線が明るく彩度が高いようなきもする。しかし、なぜ、これが錯視だと思うのだろう。錯視に特有な感覚はない。錯視だというのは岡田さんが、この二本の赤い線はコンピューターでコピペしたことを知っているからだ。「客観的に」同じ長さの線は、異なった背景風景の中に置いても同じ長さに見えるはずだという思い込みがあるから、違って見えるのはイリュージョンだと思うのだ。しかし、長さや大きさ、彩度や明度や色相が環境によって、違って見えるのは、異常な知覚ばかりではなく、正常な知覚の場合もある。もちろん図形や図像だけではなく、三次元の知覚空間でも起こるだろう。どちらにしろ、それが、オプティカル・イリュージョンの場合は、正常な知覚ではないという意識をともなっている。イリュージョンを一瞬正常な知覚と間違うことはあるけれど、すぐに訂正されるのが普通だ。
もちろん、ポンゾ錯視といわれる現象はある。しかし、通常の絵画を鑑賞する態度では、そのことに気づくことはない。見えるとおりに見えればいいのだ。ところが、ポンゾ錯視の実験は観賞ではない。比較判定する科学的態度なのだ。もちろん物差しで測ることは禁じられている。どちらが長く、あるいは短く見えるかを判定する。鑑賞者ではなく、被験者なのだ。
前回、述べたように、ポンゾ錯視と遠近法の長短は別の現象なのだ。岡田さんは、図形と図像を意図的に混同させている。そのために、岡田さんは図形と図像のどちらにもとれるイラストを用いる。しかも、二本線のない遠近法用のイラスト(A図)と二本線の描いた錯視用のイラスト(B図)を使い分ける。
A図はハの字の平面的な図形にも見えるし、奥行きのある遠近法的な空間にも見える。しかし、一本道の図像性はそれほど強くない。ようするにどちらにも見える。ところが、赤い二本線を描き加えたB図は、ほとんど遠近法的奥行きは消える。もちろん、A図の記憶があるし、三角形に注意をむければ奥行きは見える。ところが、被験者として図をみると、二本の赤い線は奥行き空間から外に出て、ほとんど平面図形に見える。遠近法が二本の線の長さに影響を与えるどころか、二本線が遠近法的奥行きのイリュージョンを壊してしまうようにさえ見える。
もしこの絵(図像)が一本道なら、道幅との比率でみれば、上の赤い線は下の赤い線と比べて、二倍の長さに見えてもいい(意味する)はずだが、そんな風には見えない。図形の客観的な長さが、一本道という図像の遠近法的空間の長さに見えないからだ。具象的な遠近法の空間では大きさはどんな風に見えるか以下の絵を見てほしい。

『 科学講座』 (
http://www.i-kahaku.jp/learn/kouza2004/kagaku1.html)
後ろの自動車は本来の遠近法では小さく描けば、同じ大きさに見えるのだが、同じ大きさに描いてあるので、逆に後ろの自動車が二倍近く大きく見える。しかし、どこか違和感がある。同じ車種の乗用車は同じ大きさなのだから、遠くにあれば、小さく見えるはずだ。それが反対におおきくなっているので、これは正常な遠近法ではないことになる。道路は線遠近法で描かれていて、奥行き空間のイリュージョンは強くでている。しかし、車は同じ大きさ(たぶん)なので、遠近法の奥行きイリュージョンを弱める働きをする。そのため、同じ長さの枕木が並んでいる線路のように遠近法的空間は安定してはいない。 この不安定さを解消するには、そういう大きな広告用の張りぼてだと思いこむか、車種を変えて、乗用車の代わりに同じ大きさの大型ダンプカーにでもするほかない。
B図に戻ってみよう。二本の赤い線は抽象的な図形であって、枕木や自動車のように具体的な長さや太さをもっているわけではない。 それは平面上の長さであり、イリュージョンの奥行き空間の中の長さではない。現実の空間では、同じ長さの棒は、遠い方が短く見える。知覚は棒の遠近を認識している。紙に描かれた二本の線は、短い方が遠くにあるわけではない。同じ紙の平面上に描かれているのだから、距離は同じだ。しかし、人間などの具象的対象なら小さければ遠くに見える。しかし、これも、床や歩道など遠近法的空間の中に描かれていなければ遠近感は生まれない。もちろん実際に描かれていなくても、想像上の床でもかまわない。もし、そうでなければ、二人の人物は別々の空間にいることになり、両者の遠近関係は生じない。
まだまだ、遠近法について書くことはたくさんありそうだが、ひとまず、途中だけれど続きは次回へ。
追記:岡田さんはB図に奥行き感覚があるといっている。しかし、これは遠近法の奥行き感とは別の感覚ではないか。遠近法は、あくまで具象性の問題のような気がする。もちろん、それがポンゾ錯視に影響を与えている可能性はある。ポイントは自動車の絵は違和感があること、それからポンゾ錯視には通常だれも気づかないということ。この二つが絵画には重要だと思う。