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もとは美術展評のブログ 絵画と映画と小説と、そして哲学を少々

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御考察拝見いたしました。それに対し思う所を私のブログで書きましたので是非、ご高覧く
ださい。

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2011.10.02[Sun]  投稿者:岡田武  編集  Top▲

岡田さんへ

ごめんなさい。混乱するので、返事を読みませんでした。今日、最初の返事を読みました。もう一度遠近法についての岡田さんのブログを読みます。
2011.10.13[Thu]  投稿者: 安積 桂  編集  Top▲

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岡田武さんへの返事(3)

ミュラー錯視の強度は文化背景によって異なるという実験結果から、それなら「ハの字」に奥行きを感じない人たちもいるのではないかと言う。このあたりの論理はちょっと飛躍していて難しいので、その箇所をそのまま引用する。

 ミュラーリアーの錯視が現れる理由付け「大工製環境の仮説」は統計調査により導かれたとされています。つまり文化背景によって錯視の強度に違いがあるという統計です。ミュラーリアーの錯視と同じ理屈付けされるポンゾ錯視、すなわちこの単純な図柄「ハ」の字にそれを置き換えると、赤い線が異なって知覚されない文化的背景を持つ人がいるということになります。このことはこの絵、「ハ」の字を見ても奥行き知覚が起こらない人がいるということを意味しています。そして我国には遠近法が輸入されるまでこうした奥行き表現を持つ絵は無かったという事実に行き当たるのです。たとえば平安の絵師達は寝殿造りの廊下はずっと平行であり「ハ」の字には描かなかったのです。


もちろん、文化背景によって錯視の強度が違うことはあるだろう。知覚の理論的負荷とか文化相対主義とか言われる考え方だ。しかし、個人差だってある。あるいは、同一人物でも、比較するときの態度の違いでも結果は違ってくるだろう。鑑賞的態度と認知的態度では結果はことなる。二本の線だけに注意をむけるように訓練すれば、より「客観的に」長さを比較できるようになると思われる。鳶職人がビルの屋上から下を見て、違う階から出した標識の大小を、一般の人より正確に識別するというテレビのバラエティ番組を見たことがある。

現実の知覚では、輻輳角や両眼視差などが働いている。それに比べ、図形と図像では輻輳角の違いも両眼視差も働かない。したがって、立体感は「正常な」奥行きの知覚ではない。同じ平面に書かれた図形図像は同じ輻輳角を持つ知覚であり、両眼像差もないので、視点を動かしても現れ方が変わるということはない。知覚の三次元空間の奥行きは、網膜上の映像から言わば構成されたものだけれど、実在が射影を通して現れているのであり、視点を移動させれば、事物の別の面が見えてくる。したがって、そうは見えない図像図形の奥行きは知覚ではなく、イリュージョンだということだ。

鑑賞者にとって知覚とオプティカル・イリュージョンとピクトリアル・イリュージョンの違いは重要である。彫刻のような立体は、観者と作品が同じ空間に属しており、基本的には知覚の対象だ。「図形」か「図像」かの違いだ。すでに、ポンゾ錯視が平面的な三角図形の中においた場合と、遠近法的なイリュージョン空間においた場合では、長短あるいは大小の見え方が違うことをわれわれは知っている。もちろん、図形としての枕木の長さはだんだんと短くなるけれど、図像としての枕木の長さは変わらない。

図形の奥行きと図像の奥行きは見え方が異なる。下図を見て欲しい。左側はミュラー錯視を遠近法で説明しようという図だ。矢印が内側に向いているのは室内のコーナーで、矢印が外側に向いているのは建物の外側のコーナーだ。前者は奥に遠ざかっており、後者は手前に近づいている。だから、もし二つの線が図形として同じ長さなら、遠ざかっている室内コーナーの線の方が遠近法的図像として長く見えるというのだ。しかし、室内と屋外は別の図像空間に属しており、室内の高さと二階建ての高さを比較することに何ほどの意味があるのか分からない。いわんや、図形の線分の長さを比較してどうしようと言うのだろう。これこそ「見える通りに見れ」ば良いだけの話ではないか。心理学者が発見するまで誰も気づかなかったのだ。

それより、ここでは、図形と図像の見え方の違いのほうが大切である。右側の図形は左の図像の内装や窓などを消して、線だけの図形にしたものである。左の図像では奥行きのイリュージョンが安定的に見えるけれど、右の図形では奥行きのイリュージョンは、あらわれ方が非常に不安定で、交替は、どこに注視するかで変わるような気がするし、自分の自由にならないような気もする。一番右の図は立体的な「直方体」にも、変な格好の「六角形」にも、さらに、その六角形の右側が少し遠ざかるようにも見えなくもない。

ここで、もう一度整理しておくと、知覚とオプティカル・イリュージョンとピクトリアル・イリュージョンの3つを大雑把に区別することが出来る。

岡田さんが『「見える通りに見る」ということ』で論じているのは、現実の知覚と図形と図像の違いについてといえる。そして、岡田さんは。すでにいったように、文化相対主義あるいは言語相対主義の考え方で、虹がなんしょくに見えるかは、文化(言語)によると考えているようだ。

以下続く




ミュラー錯視





















図像をお借りしたしたサイトは以下の通りです。

「両眼視差」「ポンゾ錯視」(Wikipedia)
「錯視とトリックアート入門」(http://www.geocities.jp/sakushiart/index.html)
「科学講座」(http://www.i-kahaku.jp/learn/kouza2004/kagaku1.html)




2011.09.22[Thu] Post 02:39  CO:2  TB:0  美術評論とは何か  Top▲

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