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〔8〕美術評論とはなにか:彫刻の知覚とイリュージョン

彫刻は知覚が優勢で、絵画はイリュージョンが支配的なのは、彫刻が立体で、絵画は平面だからだ。藤枝晃雄が『現代彫刻再考』の中でそのことに触れている。

彫刻が絵画より現実的であるということは、そのミィディアムが平面芸術に比べて、イリュージョンをもちにくい性格を帯びているからである。つまり、それは物理的にはわれわれを圧倒するかもしれないが、不充分なものであるとき、我々の眼と意識を虚ろなものにする。一方、絵画は本来的にミディアムとしてイリュージョンを有しやすく、枠組みがより明確であるために外形上、作品となりやすいが、ただ底質な作品となれば芸術としての悲惨は強大である。(『現代芸術の彼岸』P100)


彫刻は事物で、絵画は図像だということだ。彫刻は手で触れることが出来るけれど、絵に描かれた事物は手で触れることが出来ない。彫刻は立体なので、観者が見る位置を変えれば、それまで見えていたところが見えなくなり、見えなかったところが見えてくる。彫刻の空間と観者の身体空間は連続した同一の空間に所属している。インスタレーションは、観者が実際に作品空間に入り込んで知覚空間を体験する。

それに比べ、絵画のイリュージョン空間と観者の空間はキャンバスの物理的表面によって、切断されている。観者と同一の空間に属するのは、物理的絵画すなわち絵具の塗られたキャンバスである。グリーンバーグが絵画のイリュージョン空間を「目で見るだけの空間」と「歩いて入れる空間」に分けたけれど、歩いて入れる空間というのは、われわれの想像的身体で入れると言う意味であって、現実的肉体で歩いて入るわけではない。

反対に、彫刻のイリュージョンを見るためには、彫刻の空間を観者の身体空間から切り離してやれば良いことになる。周囲を暗くして、作品にスポット・ライトをあてるとか、まわり囲むとかすればイリュージョンは現出する。作品に「没入」するのが一番正しい鑑賞の仕方だが、生憎、知覚が働いているときは、絵画のイリュージョンを見ているときと違って、なかなか没入するのは難しい。

次回は、彫刻の錯視について。『美術評論とはなにか』⑨へ



2011.06.24[Fri] Post 01:12  CO:0  TB:0  美術評論とは何か  Top▲

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