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もとは美術展評のブログ 絵画と映画と小説と、そして哲学を少々

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〔5〕美術評論とはなにか:「絵を見ること」と「オブジェを見ること」

絵画論を混乱させているのは、絵を見ることとオブジェ(立体)を見ることを区別しないからだ。もちろん現実の作品はどちらか一方だけということはない。だから議論が混乱する。

小林正人の《LOVE もっとひどい絵を!》は、知覚の対象である三次元の事物だからつまらないと言ったが、だがらと言って、《Love ・・・》が、波打つキャンバス地にヌードや抽象画や顔が描かれているのだから、ジャッドの箱のように、全くのリテラルな客体というわけではない。図柄に注意を向ければ、イリュージョンが見えないわけではない。

たとえば、掃除機にミッキーマウスが描かれているとする。もちろんイリュージョン(図像主題)がみえる。ところが、掃除機は立体であり、知覚の対象、すなわちオブジェだ。見る位置によって様々な面が見える。それによってミッキーマウスも色々に変化する。斜めからみれば、ミッキーマウスは歪んで見える。反対側から見ればミッキーマウスは隠れてしまう。

我々の身体空間と電気掃除機が占めている空間と連続している。だから、ミッキーマウスは電気掃除機の胴体の曲面に張り付いた塗料なのだ。われわれの見る位置によって形を変える。ということはミッキーマウスは図像主題(イリュージョン)ではなく、図像客体(知覚の対象)ということになる。

もちろん、図像客体と図像主題は、画然と分かれているわけではない。また、図像主題はイリュージョンでもあるし、意味でもあるのだから、あわてずにゆっくりと事象を記述していかなければ、容易に迷路に陥るだろう。

詳細な議論はさて置いて、ここでハンス・ホルバインの《大使たち》を見てみよう。

ホルバイン《大使たち》 
この絵で大切な事は、アナモルフォーシスとかメメントモリとかいう図像学的な薀蓄ではなく、正面から見たとき図像主題の髑髏が見えないこと、それと図像客体が、絵画の物理的表面に重なるよう浮いていることだ。そして、左下から見ると、髑髏が現れ、肖像画の床の空間におさまる。これは絵画のイリュージョン空間と、絵画の物理的平面すなわち観者の空間が切断されていることを意味する。

これは、アタリマエのことのようだが、グリーンバーグの空間や平面を批判する世の凡百の美術評論家たちが決して理解出来ないことだ。

マチスあれほど抽象的になりながら、最後まで抽象画を拒否したのは、なぜなのか。


『美術評論とはなにか』 つづく
2011.04.18[Mon] Post 22:39  CO:0  TB:0  美術評論とは何か  Top▲

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