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〔2〕美術評論とはなにか:小林正人の美術とアート

ShugoArtsの《小林正人 LOVE もっとひどい絵を  美しい絵 愛を口にする以上》の展評を書いた。

あのときは、小林正人はイリュージョンを残しながら、絵画を物理的に破壊している一種のミニマリズムであり、事物の知覚がイリュージョンの意識よりも優勢であると書いた。

このとき、展覧会場で、ニョウボとちょっとした言い合いをした。ニョウボはヌードの線が結構描けているというのだ。わたしにはアメリカのピンアップを崩したようにしか見えなかった。そうしたら、ニョウボは、目が離れているけれど、顔もそれなりに目や口などの顔のパーツが、マチスの「へのへのもへじ」の顔ほどではないけれど、おさえるところはおさえていると、なんだか偉そうにいった。それなら、面白いのかと言えば、つまらないと答えた。

小林正人の展評を書いてあとも、ニョウボとの意見の対立は続いていた。そんなときに検索で小林正人の初期の
作品《絵画=空》を見た。説明には「筆を使わず、手で直接キャンバスに絵を描き、描きながら徐々に手製の木枠に固定していく」とあるから、随分まえからこの技法を使っていたことになる。

《絵画=空》というタイトルを見れば、抽象画でもあり、具象画でもあるわけだが、キャンバス平面に塗られた絵具でもあり、青い空に浮かんだ雲でもあるということだ。図像としては自然に着想を得た津上みゆきの抽象画と同じ仲間といえる。ブラシの代わりに手を使っていることや描きながら木枠に固定してゆく技法がどんな効果をあげているのかわからない。写真で見る限り、ごくありふれた抽象画に見える。

それで、《絵画=空》から最近の作品《 LOVE もっとひどい絵を  美しい絵 愛を口にする以上》を見れば、なんでこんな事になってしまったのか、理解に苦しむ。よくみれば、顔やヌードが描かれている。まともだった絵が、破壊されてゴミのように床に落ちている。

もちろん、これは、キャンバスを枠に張りながら手を使って描くという《絵画=空》の技法を極端に押し進めたものだ。手で絵具を伸ばし描いていたのが、絵具を擦りつけて指で擦りつけたり、盛上たり、チューブから直接搾り出したりしている。また、キャンバスも描きながら張っていくというより、反対に、キャンバスを緩め剥がし、枠を壊しているように見える。

《絵画=空》から《LOVE》まで25年経過しているわけだが、小林のその間の作品を見る機会はないけれど、小林がどうしてこんなふうに絵画を破壊したのか、そしてこんな「つまらない」作品を描きつづけるのか、美術評論家の評論を読んでみよう。

まず、ShugoArtsの小林展の解説から。冒頭に、小林正人の言葉「ペアの存在のしかたは、時空を越える“距離=愛”の問題だと思う」が掲げてある。この「=」等号は、《絵画=空》というタイトルでも分かるように、小林正人の絵画の制作意図を表しているのだろう。

また、「作家がペアとよぶ、2点1組を前提に制作された作品を展示いたします。ただしその2つの作品には対比や相似といった外見上の関係性や、2つそろって初めて意味をなすといった内容的な関係性はまったく存在しません。」と言う。作品を2点1組で展示するのは岡崎乾二郎の作品にもあるが、岡崎のペア作品には関係性があるらしいのだが、小林の方は、関係性は全くないといっている。どちらも、目で見るかぎりは、関係性があるのかないのかわからない。理屈の次第だろう。

岡崎乾二郎で思い出したけれど、小林の長いシュールなタイトル《LOVE もっとひどい絵を  美しい絵 愛を口にする以上》は岡崎乾二郎の現代詩のようなキャプションに似ている。現代絵画では、タイトルが重要な役割を果たしていることは知っているが、わたしにはそれは絵を見るためというより、絵を論じるためとしか思えない。

いずれにしろ、小林正人と岡崎乾二郎は、いろいろな理屈を除いてみれば、両者とも反イリュージョニズムであり、方法が違うが、キャンバスを知覚の対象である事物として提示している。

そういう視点から岡崎と小林を比較いしてみると、岡崎はあくまでもジャッドが立体でやったことを絵画でやろうとしているのだが、小林の知覚事物には反芸術のダダの精神があるところに両者の根本的な違いがある。

さて、なんとかここまで書いて、小林正人の作品をShugoArtsのアーティストファイルで眺めていたら、岡崎乾二郎と比較したためか、これまで見えなかった小林正人の魅力があらわれてきた。

次回につづく 『美術評論とはなにか』③  





2011.04.04[Mon] Post 00:06  CO:0  TB:0  美術評論とは何か  Top▲

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