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辰野登恵子の「重さ」とテーブル (辰野登恵子論③)

辰野登恵子が自分が描いた事物には重さがあると言っている。どこで読んだのか検索したけれど見つからない。

『辰野登恵子のトリック』で書いたように、立体の事物であれば、重さがあって、平面上に描かれた図形や模様なら重さがない。しかも、重さがあるものは、何かの上にのっかっている。こののっかってるか、のっかっていないか、辰野の《新作》で確かめて欲しい。そうすると辰野の図解的レトリックが見えてくる。

「のっかっている」ということで思い出すのは、テーブルだ。テーブルといえば、セザンヌの静物画である。そして、キュビスムのテーブル平面、マティスの水平のテーブルと垂直の壁や絵画、という具合にテーブルはモダニズム絵画に置いて重要な役割をする。

セザンヌの静物画はリンゴがテーブルから落ちそうだ。でも落ちないのは、リンゴが図形化して重さが無くなっているからだ。キュビスムでは、テーブルの平面は垂直になり、ギターもグラスも平たくなり重さを失う。

マティスはキュビスムに重さを取り戻した。《金魚とパレット》は、テーブルの上に水の入った金魚鉢を置いた。金魚鉢は水準器の役割をしている。《Harmony in Red》は、テーブル・クロスと壁紙の模様を同じにして、テーブルの上には果物が転がしてあり、白ワインと赤ワインの入ったデカンタが水準器だ。窓外の風景は窓枠の額縁に入った絵画に見える。もちろん模様や絵画には重さはない。

空間と平面の探求をしているという辰野登恵子にはテーブルがない。床らしきものに置いてあるのは、箱のようなものを積み上げた《TWINS Ⅳ》と《水位(Ⅲ)》だ。重さはあるけれど、空箱のように軽そうだ。《a halfmoon》は背景から浮いて見える。《on the wall》は文字通り壁に掛けてあって厚みがあり、ピンクの大きい方は細い影できて、少し浮いて見える。

残りの作品は、主題の立体物がキャンバスの上下の端でカットされ、背景の手前に浮いている。三次元の立体が生み出す空間のイリュージョンは、オールオーバーな背景の壁によって閉じられてしまっている。また反対に、背景は前景の立体物に遮られて、セザンヌのテーブルのようには、キャンバスの物理的表面に浮かび上がることができない。

辰野の空間は背景に遮られ、確かに浅い。この浅さはモダニズムの解放された浅さではない。閉じられ、窒息している。たしかに、辰野は空間と平面にこだわっている。グリーンバーグによれば、モダニズムの絵画は、奥行きのイリュージョンが次第に浅くなり、ついにはキャンバス表面に重なる直前まで行く。それが抽象表現主義であり、カラーフィールドぺイティングである。

辰野の画歴はミニマリズムからはじまり、抽象表現主義を経て、三次元の立体造形的絵画へと、まるで、モダニズムの還元の歴史の流れを遡行しているようだ。もちろん、古典大家の歩いて入れる遠近法の空間ではなく、モダニズムの目で見るだけの浅い空間にもどるのだが、その空間は、モダニズムが具象から抽象へと展開するもっとも豊かだった時代の空間とはことなる辰野独自の空間なのだ。

辰野は、《新作》で、たしかに、空間と平面の問題をあつかっている。しかし、その空間は三次元立体の空間であり、平面は図形の平面である。モダニズムの平面とは、テーブルと壁と、そして何よりもキャンバスの物理的平面なのだ。もちろん、そこには絵具がある。

辰野はモダニズムの絵画言語で語っている。明暗よりも色相対比を好んでいる。黒い輪郭線がある。セザンヌのような茶と緑の荒いタッチの背景がある。主題がキャンバスの端で切れている。彫刻的なボリュームや陰影がない。厚塗りの矩形の筆触と擦ったようなタッチがある。ボケによる写真的遠近法がある。しかし、どれもが中途半端で、何の効果もあげていなように見える。背景は壁になって前景の空間を圧迫し、形は色を閉じ込めている。

辰野は、モダニズムの絵画言語でモダニズムを脱構築しようとしているのかもしれない。それが、わたしには「図解的なレトリック」に見える。

そういうわけで、辰野の最終的な評価はできない。ただ、辰野は開かれたマティスとは正反対の閉じられた画家だということだけは確かなような気がする。開かれた空間と平面を理解するのは、わたしの拙い説明よりも、マティスの作品を見れば、たちどころに理解できる。そして同時に辰野の《新作》の閉鎖性もまた容易に理解できると思う。

次回は、辰野登恵子論を書いているときに、わたしの頭にあったマティスの作品、《金魚とパレット》と《Harmony in Red》について述べる。

2011.01.22[Sat] Post 01:27  CO:0  TB:0  ・辰野登恵子  Top▲

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