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辰野登恵子とマティスのモダニズム (辰野登恵子論②)

本江邦夫の「辰野登恵子論」の冒頭に掲げられた辰野のエピグラム。

「絵画は絵画であり、何かの象徴ではないし、理念的なものでもない」

そして、
BLD GALLERYの『辰野登恵子 新作展』の解説から。

辰野登恵子は74年東京芸術大学大学院修士課程修了後、当初はアメリカのポップ・アートやミニマル・アートの影響を受けた作風の作品を制作していましたが、70年代後半より一貫して平面にこだわり、日本のモダニズム絵画を牽引する存在として大きな足跡を残しています。

何層にも塗り重ねた緑やピンク、水色など豊潤な色彩の中に、円形、方形、花模様、雲形などの形態が浮かび上がる辰野の絵画は、抽象とも具象とも違った奥行きある豊かな空間が広がり、形態と色彩が織りなす緊張感、そして感情豊かな力強い画面からは、絵画を描く行為の本質に真摯に立ち向かい続ける辰野の姿勢が伺えます。


辰野登恵子はモダニストであり、作品には「奥行きのある豊かな空間」と「形態と色彩が織りなす緊張感」があると言う。

たしかに、新作には、三次元の立体物が描かれていて、当然、空間のイリュージョンがある。また、立体物は輪郭線と稜線に囲まれ、その中にキミドリや青やピンクなど今どきの色彩で塗られていて、緊張感とは言わないけれど、それなりに新鮮な感じがしなくはない。

しかし、本当に奥行きのある豊な空間があるのだろうか、あるいは、形態と色彩が織りなす緊張感があるのだろうか。

辰野登恵子はマチスが好きだという。マチスはマネから印象派、そして、セザンヌ、キュビスムへと、ヨーロッパのモダニズムの流れを、アメリカの抽象表現主義に繋げる役割を果たした。マチスの影響下で、それまで線的で閉じていた抽象画が、絵画的で開いた抽象表現主義になっていく。(注1)

辰野には抽象表現主義の時期があったということだが、《新作》の空間は「閉じて」いる。すでに言ったように、広告写真の「ブツ撮り」になっている。モチーフの立体物は、輪郭線と影を兼ねたような途切れとぎれの黒い線で縁どられ、いわばピントが合っている。立体物は、三次元の線遠近法のなかに、きっちりと嵌め込まれている。

それに対して、細かい擦ったようなタッチで描かれた背景はボケて、一種のオールオーバーなカラーフィールド・ペインティングになって、ブツ撮り用の背景紙の働きをしている。背景紙は、立体物の三次元空間を前景の中に閉じ込める。けっして、奥行きのある豊な空間とはいえない。

ポスターになった《室内》や《必然的な丸》の背景は、他の事物らしきものが描かれて、背景紙にはなっていないが、両方とも手前にある曲がったパイプのようなものにピントが合っている。パイプと重なっている背後のものはボケているので、「前ピン後ろボケの遠近法」と、「重なりの遠近法」、それと、「大小の遠近法が」働いて、奥行きのイリュージョンが生まれている。しかし、まさにそれ故にこそ、逆に、前景と後景が分離されてしまっている。

色彩に関しても同様なことがいえる。グリーンバーグの『マチスの影響』(『グリーンバーグ批評選集』)から抜き書きする。


・特にマティスの芸術は装飾的だと批判され、また批判され続けている。

・注目すべきは、マティスがいかに絵具を多様な薄さにして画面に塗り、筆を運び、そうすることで地の白が透けるばかりではなく、息づかせたかということである。

・ピカソの絵は、いかなるものであれ自らを閉じ込めようとするが、マティスの絵はいかなるもであれ自らを開こうとする。

・1914年にマティスがプリズム的ではない色彩を取り入れ始めたーーー途中省略ーーー同じく黒、白、灰色、アース・カラーがプリズム的な色彩そのもののように振舞い始めた。

・マティスは、我々の文化における芸術の議論を悩ますような偽善的な決まり文句、偽りの感情、偽って表現された感情に対して、早くから敵対してきたかのようである。

・マティスは言葉の修辞を拒絶したように、芸術でも図解的な修辞のいかなる痕跡をも遠ざけた。



グリーンバーグの『マティスの影響』を読み返して、あらためてグリーンバーグの批評家としての偉大さが分かる。グリーンバーグはフォーマリストだとか、還元主義者だという批判はあたらない。引用の説明は必要ないだろう。これをひっくり返してやれば、そのまま辰野登恵子の批判になる。

色について、辰野登恵子X会田誠のトーク・ショウで、会田が辰野の絵を見て、「絵の具を喜ばすために描いている感じがする」と言うと、辰野が「色を喜ばすために形があるのかも」と答えた。

辰野もマティスも黒を使っている。辰野の黒い線は、輪郭線であり、ときどき影でもある。どちらにしろ、立体図形を補強する役割をしている。辰野の図形は色を喜ばすためではなく、色を形の中に閉じ込めためにある。それに対し、マティスの黒は色である。太い輪郭線がある。影がある。黒い壁、衣裳、家具、そして髪がある。太い描線は立体を平面化し、外の色と中の色をつなげる色だ。立体を平面にする開放的な色だ。

もちろん辰野はマティスの開放性のことを知っている。だから、辰野はいろいろと工夫をしている。ところが、それが裏目に出て、工夫がトリックに見えてしまうのだ。

トリックとは、グリーンバーグの言う図解的な修辞(illustrational rhetoric)のことだ。本棚の棚板が傾斜していたり、側板が欠けていたりするのは、レトリックである。光とペンキを意図的に混乱させているのも、重さのある石と重さのない平面の区別を曖昧にしているのも、図解的なレトリックだ。そもそも、辰野の写真的な技法からして図解的なレトリックといえる。(注2)

辰野の《新作》が傑作なのか凡作なのかは判らない。辰野はミニマリズムから出発して、抽象表現主義を経て、この立体造形的抽象に至った。抽象表現主義は「ハッキリとした輪郭で描かれ平面化された形体」を克服することでうまれた抽象だ。それを元の平面幾何学的抽象にもどすどころか、さらに立体造形的抽象画に至ったのには、それなりの理由があるのだろう、ただ、わたしに分らないだけなのかもしれない。



注1:『抽象表現主義以後』(グリーンバーグ)参照
注2:「辰野登恵子論①」
                                                                             小林正人と同様に、辰野登恵子についても、古谷利裕と本江邦夫が批評を書いている。藤枝晃雄氏がいうように、論じやすい作家というのがいるのだろう。ひととおり読んだけれど、相変わらず難解だ。どちらも私が見た新作についてではない。                                                               
2011.01.13[Thu] Post 22:29  CO:0  TB:0  ・辰野登恵子  Top▲

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