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私のコメントに関しページを割いてくださり恐縮しております。これに対し、

一言付け加えておきます。私がご紹介の映像から立体視はあり得ないと言った

のは、立体視とは一般的に両眼視機能による作用を指すものであるからです。

そのことは、この映像からの印象を「壁紙ステレオグラム」と同じ仲間であると

言われている点からも、そうした認識から「立体視」を用いられていると解釈し

ました。ステレオグラムは正に両眼視機能によるものですから。私はこの映像

から浮き出るような印象があるなら、立体視(両眼視機能)からでは無く、別の

要素からであろうと言ったまでで、その要素とは「後退色、進出色」の他、明

暗、タッチの形状、強弱、色の重なり(あるいは遠近法)等で、これらはご指

摘の通りであろうかと思います。私の言いたかったのは、むしろ後半部分であ

り、そうした知覚の有り様を絵画芸術を語るにおいては、もっと厳密になされ

るべきではないかという点です。この場合(ポロックの映像)の平面であるの

に浮き上がって見える知覚(錯視、錯覚)は立体視(両眼視機能)に比べるな

ら文化的、経験的制約がより大きいだろうし、絵画的空間イリュージョンとなっ

た場合、その制約はもっと大きくなるはずだからです。
2010.12.13[Mon]  投稿者:岡田萬治金箔美術  編集  Top▲

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ポロックの空間の秘密  【首振り立体視②】

【首振り立体視①】



前回のエントリー
でポロックの空間について書いた記事に岡田萬治さんという方からコメントを頂いた。

岡田さんには幾つかの誤解と思い込みがあるようだが、ここでは細かいことは省略する。

まず問題のポイントは、頭を動かしたり、歩きながら画像を見ると現れる立体視があるかどうかということだ。岡田さんは、Youtubeを見ても立体視が見えないという。見えないだけなら、個人差もあるだろうから、それはそれでいいのだが、見えるはずがないと言われると、見えるわたしは困惑するばかりだ。

「首振り立体視」、ひとまずこう名づけておくが、これはわたしの目の錯覚ではないかと最初は思ったが、例によってニョウボに確かめたら、奥行きが見えるそうだ。(ぜんぜん、証明にならないがw)

立体視というより、三次元視と言ったほうがいいのだが、たしかに両眼視差によって三次元視は生じる。しかし、すべての三次元視は両眼視差のためではない。

ポロックの三次元視が両眼視差によって生じるわけではない。我々は交差視も平行視もしていない。それは準知覚であって、「知覚の三次元」でも「図像意識の三次元」でもない、あたかも知覚のごとく見える「錯視の三次元」である点では、両眼視差による立体視と同じだ。

この三つの現象は、思い込みなしに、ということは現象学的還元をしてみればということだが、それぞれハッキリと区別できる。もちろん折衷的でどっちつかずの三次元感覚もあるが、それはそれで中間的な現象として把捉できる。

何事も絵画を論じるならば、まず、絵画を見ることから始めよう。ポロックの「首振り三次元視」に好都合な静止画集“Top Twenty Jackson Pollock Paintings”がYoutubeにある。それを見てみよう。





ひと通り見て、いちばん三次元視がうまくいく静止画を選び、首を振らずに見てみよう。たとえば《Number22》がある。具象画の遠近法的奥行きではないが、絵画的な空間のイリュージョンがある。

具体的な事物がないのに、どこからこの三次元感覚が生じるのか。いろいろあるだろうが、もっとも重要なのは絵具のかさなり、もうひとつ副次的に重要なのは曲線だ。

二つの線が交差しているとき、上にある方が手前に見える。それから曲線があれば、それは大抵は凹んでいるか、あるいは盛り上がっているかのどちらかにみえる。もちろん凸と凹が交替して見えることもある。

その他、地と図の関係(注2)や前進色と後退色の影響もありそうだが、解像度の低いYoutubeの画像では、はっきりしたことは判らないし、どちらにしろ、「首振り立体視」では副次的な役割しか果たしていない。

首を左右に振ってみよう。すると比較的浅かった奥行きが深くなり、交差した線は二次元の平面上で重なっているのではなく、三次元空間を離れて交錯しているように見える。頭を右に動かすと、前の線が左に動き、後ろの線や色面が反対側に動いたような錯視が生じる。

この絵では、筆で描かれた黒い線やドリッピングの黄色い細い線が浮き上がって見える。特に黒い線は静止状態のときは、沈んでさえ見えたのに、動いたとたん浮き上がってくる。

この錯視が両眼視差によるものではないことは、片目で見ても同じ現象が起きることで、簡単に証明できる。

それでは、どうしてこんな錯視が生じたのか。それは、電車に載っているときに近くの電信柱が後ろに動いていくのに遠くの家は電車についてくる現象と同じだ。片目をつぶって、鉛筆を二本、目の前に距離を少し離して立てる。そして、頭を左に動かすと、近くの鉛筆は右に、遠くの鉛筆は左に動くように見える。これは錯視ではなく、相対的な運動ということだ。(正確には相対的うんどうではなく、視線の角度の違いだ)

しかし、絵画では交差する二本の線は同じ平面に描かれているのだから、頭を動かしても、上で述べたような現象は起きないはずだ。実際に起きていないことが、起きているように見えるから錯視なのだ。

それなら、頭を動かすと何が起こるのか。それは、網膜の像がずれるということだ。網膜像は眼球の動きや頭の動きに連動して、絶えず変化している。それなら世界が揺れ動いたり、チラチラしても良いはずだが、そうはならない。「脳」が網膜像の動きを、対象のうごきではなく、眼球や頭のうごきとして処理している。

実は、この眼球や頭の動きは三次元の空間や事物の立体性を構成するための重要な運動感覚(キネステーゼ)なのだ。三次元の知覚に両眼視差が働いているのは確かだ。その左右の異なった網膜像を脳が三次元立体として処理している。もちろんこれは交差視も平行視もしているわけではないから錯視ではなく、知覚だ。

もちろん、三次元に見えるのは、両眼視差だけが理由ではない。片目でも、両眼視ほどではないが、奥行きは知覚している。それは、事物の重なり具合であり、焦点より遠いところと、近いところのボケであり、大小の遠近法である。眼帯をしていて、どちらが近くにあるかわからないとき頭を動かして、重なり具合を確かめて、どちらが前か後ろか確かめた経験があるだろう。

頭を動かすより、動画でカメラを移動させたほうが、「首振り立体視」がハッキリ見える(たぶん)のは、列車の窓外の景色の流れに近いからだ。絵画は平面だけれど、浅い空間のイリュージョンがある。それが横に移動すると、その浅い絵画空間にたいして、「脳」が、まちがって、三次元空間を知覚した時のプログラムを実行してしまうのだ。

この「首振り立体視」はポロック特有の現象ではない。線や図形が重なっている絵画なら大なり小なり「首振り立体視」ができる。例えば、カンディンスキーの幾何学的抽象は比較的よく三次元視ができるほうだが、ポロックほどではない。ポロックが特別なのは、おそらく、絵具が盛り上がって、線の重なりがリアルに見えることも関係しているのだろう。(注1)

以上のことは、ポロックの評価とは直接関係はない。しかし、首もふらずに静止画を見ていると、浅い絵画的イリュージョンが少しずつ深くなっていくようみえる。ときに、チラチラと錯視らしきものがあらわれるもする。それは、いくら観者が動かないつもりでも、眼球は動いているし、頭は揺れているからだ。たぶん、首振り三次元視が絵画的空間に影響を与えていることは間違いない。

本物のポロックを見て見なければ、なんとも言えないけれど、Youtubeでポロックの絵をみながら繰り返し「首振り実験」をしたので、次第にポロックの絵画的イリュジョンが見えるようになってきた気がする。

ポロックを見るために、アメリカまでいく元気はない。

注1:デ・クーニング《発掘》(1950)はもともと面を立体的に重ねているので、「首振り立体視」をすると屋上屋を架すの感じになる。
注2:ポロックのポード絵画には図と地はないと言われているが、全くないわけではない。

【首振り立体視③】へ






2010.12.11[Sat] Post 19:57  CO:1  TB:0  絵画の現象学  Top▲

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一言付け加えておきます。私がご紹介の映像から立体視はあり得ないと言った

のは、立体視とは一般的に両眼視機能による作用を指すものであるからです。

そのことは、この映像からの印象を「壁紙ステレオグラム」と同じ仲間であると

言われている点からも、そうした認識から「立体視」を用いられていると解釈し

ました。ステレオグラムは正に両眼視機能によるものですから。私はこの映像

から浮き出るような印象があるなら、立体視(両眼視機能)からでは無く、別の

要素からであろうと言ったまでで、その要素とは「後退色、進出色」の他、明

暗、タッチの形状、強弱、色の重なり(あるいは遠近法)等で、これらはご指

摘の通りであろうかと思います。私の言いたかったのは、むしろ後半部分であ

り、そうした知覚の有り様を絵画芸術を語るにおいては、もっと厳密になされ

るべきではないかという点です。この場合(ポロックの映像)の平面であるの

に浮き上がって見える知覚(錯視、錯覚)は立体視(両眼視機能)に比べるな

ら文化的、経験的制約がより大きいだろうし、絵画的空間イリュージョンとなっ

た場合、その制約はもっと大きくなるはずだからです。
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