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会田誠の記号論①

会田誠が個展『絵バカ』(ミヅマアートギャラリー)で発表した《1+1=2》が余り評価されていない。しかし、この作品は会田の画歴の中でも重要な作品である。

あらためて言うまでもなく、《1+1=2》は会田誠の初めての抽象画である。すでに『会田誠の抽象画』で書いたように、「1+1=2」の数式は、デ・クーニングの「女」と同じように、「帰する場所なき再現性」(グリーンバーグ)である。“homeless representation”とは、「抽象的な目的のために適用されるのだが再現的な目的をも示唆し続けるような、彫塑的かつ描写的絵画的なるもののことである。」

文字は絵と違って再現性(representation)はないというかもしれない。たしかに、数字は彫塑的描写的な具象的対象を表わすわけではない。しかし、抽象的な概念を表わすかぎり、数字や文字もまたrepresentation(表記・記号)なのだ。

パースの記号分類によれば、数字(文字)はシンボル記号であり、絵(図像)はイコン記号である。数字も絵も自分とは別のものを表わす(stand for)記号だ。文字は約定によって意味を表す。図像は類似によって主題を表わす。

絵はアナログ記号なので、具象から抽象へは連続的に変化する。自然対象に対する類似が次第に減少して行くけれど、線や色があるかぎり、具象性はゼロにならない。それに対して文字は弁別的差異の記号である。したがって、原理的にはそうであるかそうでないかの二者択一になる。

しかし、文字記号にはイコン記号の類似性とは異なる「類似性」がある。たとえば、「大」と「犬」と「太」は漢字を知っている人にはまったく別の文字だけれど、知らない人には類似して見えるだろう。あるいは壁のシミや子供のいたずら書きが偶然何かの文字に似るということもある。一度、シミが文字に見えてしまうとなかなか他のものには見えなくなる。

まず、そんなことを忘れて《1+1=2》を見てみよう。一つ一つの文字を見てもアラビア数字に見えない。黄色い「2」は頭が赤くはみ出している。「=」は上下の線がづれて、とてもイコール記号には見えない。「1」はモデリングされて上下の部分が丸く太くなっているので、犬が咥える骨のように見える。「+」は輪郭がはっきりしないのでまったく「+」には見えない。

ところが、数式に注意を向ければ、数字や数学記号が現れる。そして、そのキャンバスいっぱいの数式は抽象画としての鑑賞を妨げる。弁別的差異の構造が造形的な形体や線や色の諸関係を見ることを妨げるからだ。したがって、これは「帰する場所なき再現性」というよりも、一種の「隠し絵」になっている。抽象的な線や形の中に文字が隠されている。

アラビア数字の知らない観者には、おかしな図形は見えるけれど、数字は見えない。知っていても、文字の弁別的差異が形や線や色彩の多様さに紛れて、やっぱり数字はみえない。しかし、一旦、数式に気づけば、図形ははっきりと数字に見える。数式がキャンバス全体を支配する。そこで、会田誠は、数字であるとともに抽象的な図形でもあるように、形を歪め色を塗り分けて、どちらか一方に偏らない工夫をする。

結局のところ、抽象画として中途半端なのである。方法としては具象から抽象へという歴史的に正統的なものなのだが、その出発点はデ・クーニングのような女ではなく、文字という、抽象性と具象性を合わせ持った記号だ。「女」は、どんなに抽象化されても、すこしでも類似が残っていれば、イリュージョンを生み出すが、文字は類似がある限界まで減少すると、弁別的差異の構造がくずれ、単なる抽象的な線や図形になってしまう。

クレーには具象と抽象の問題を表音文字と象形文字を通して探求した傑作がある。会田の方法は、クレーと異なって、文字記号の姿・形、弁別的差異の構造を崩して、反造形的な抽象画を描くことだ。この方法はデ・クーニングの《女》シリーズの方法と同じだけれど、アナログの《女》は最後に一本の線になっても女のイリュージョンが残る。しかし、《1+1=2》は、構造が崩れればたちまち文字は消え、ただの線や図形になってしまう。

そうならないように、会田は文字にも形体にも見えるように慎重に描く。そういうわけで、《1+1=2》は造形的抽象と反造形的抽象の折衷になっている。これは「帰する場所なき再現性」ではなく、「隠し絵」だという所以である。

会田の文字の作品は《美少女》《桑田》《書道教室》と抽象画の《1+1=2》がある。つづく。
2010.07.31[Sat] Post 01:45  CO:0  TB:0  -会田誠  Top▲

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