ART TOUCH 絵画と映画と小説と

もとは美術展評のブログ 絵画と映画と小説と、そして哲学を少々

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.--[--] Post --:--  CO:-  TB:-  スポンサー広告  Top▲

COMMENT

NAME

SUBJECT

BLOG/HP

PASSWORD

COMMENT

SECRET: ※非公開コメントにしたい場合はBOXにチェックをして下さい ⇒ 

SUBMIT: 送信 

TRACKBACK

スポンサーサイト のトラックバックアドレス
http://petapetahirahira.blog50.fc2.com/tb.php/665-f74529a7
 ⇒ この記事に対してトラックバックを送信する(FC2ブログユーザー)

テーブルの影:『ボナールの庭、マティスの室内』(ポーラ美術館)

ボーラ美術館の『ボナールの庭、マティスの室内』を見に行った。川村記念美術館の『Matisse et Bonnard』展(08年3月)は海外からの美術館の協力を得ていたけれど、こちらはポーラ美術館の所蔵品が中心で、そんなに良いものはなかった。ニョウボはボナールの赤が見たいと言っていたけれど、赤はマチスの『リュート』があるきりだった。

ボナールの裸婦は、川村美術館で見たのと比べると、それほどの魅力がなかった。写真を使ったというデッサンは、アングルやルノワールの裸体よりおそらくリアルに描かれているのだろうが、貧弱な胸や尻はリアルというよりデッサンの稚拙さに見えてしまうのは、絵画もまた制度であることを免れないということだ。アングルのヌードはなめらかな肌で絵具を隠しているのだが、ボナールの肌は、川村美術館で見たヌードの白い絵具は肌の輝きに見えたのだが、こちらのヌードは白の絵具が露出し、肌の輝きには見えない。もちろん絵具が見えるということではむしろモダニズムともいえるのだが、ルノワールの絵具の隠蔽と露呈の緊張関係とくらべるとどうしても稚拙見える。そう考えるとルノアールは絵具と色と自然のイリュージョンが緊密に重なりあって、印象主義が単純な感覚のリアリズムではないことがわかる。

それよりも、この展覧会で一番印象に残ったのはマチスの「リュート」である。もちろん、壁とテーブルの天板と絨毯の赤と、植物と椅子の緑が補色対比になっている。天板の赤が横板にはみ出し、テーブルは壁と平行になっていないのは画面に立体感と動きを与えている。それはいいとして、テーブルがリュートを弾く女のスカートに影を作っているのだが、それが妙に目を引くのだ。もっともはじめはそれがテーブルの影とはきづかなかった。他には影らしきものもないし、花瓶にもスカートにも陰影はなく、モデリングが施されていないからよけいに気づかなかった。

しかも、その影は丸く膨らんでいるはずのスカートにまるで四角い板のように張り付いている。スカートの襞の線が薄い黒の絵具でほぼ垂直に三本ひいてある。スカートの裾は薄い紫で、影はその紫に少し黒を混ぜて薄く雑に塗ってある。

その影が机の影だと思ったとたんその影は輝き始めた。赤と緑の対比が輝くのではなく、裾の紫より少し濁った紫がキャンバス表面で輝いてみえるのだ。ところが、家に帰ってカタログの写真を見ると輝きは消えている。写真はどうしても彩度が高くなるので、影の紫の要素が強調されているような気がする。それに縮小された写真では絵具の物質的なタッチが見えにくいという理由もあるのだろう。それに、実物はもっと灰色に見えたような気がするけれど、それは「スカートの模様」ではなく、「机の影」という図像主題が影響を与えたと思われる。

ニョウボはこのスカートの四角い紫が机の影だとは気付かなかったそうだ。そのせいか影は裾模様とほぼ同じ紫にみえたそうだ。しかし、四角い紫がスカートの模様でも机の陰でも、どちらでも絵画価値は同じだということが形式主義ならば、形式主義は間違っているのではないか。わたしには、そのやや暗い紫が机の影に見えた途端、奇妙なことに、机の影は、スカートの上にではなく、まるでキャンバスの表面上にあるような「イリュージョン」が生まれる。もちろん物質的な絵具はキャンバスの表面にあるのだが、キャンバス上に投げかけられた影はもちろん絵具ではなく、イリュージョンだ。

『リュート』はマチスの傑作とは言えないのだろうが、マチスの秘密を知るにはもってこいの作品だ。色彩対比のことは知らないのだが、はじめは赤と緑の対比に目がひかれるけれど、机の影によって、スカートの紫と女の髪の緑の対比が強くなるように思われる。マチスは紫の使い方がとても上手いのだ。『リュート』はポーラ美術館の所蔵品だから、この展覧会でなくても見られるはずだから、ぜひ一度はポーラ美術館で『リュート』を見てください。

もう一度繰り返しておく。わたしが「図像に還れ」と主張するのは、図像学のためではない。そうではなく、何が描かれているかがどう見えるかに影響を及ぼすからだ。『リュート』の例で言えば、四角い紫がスカートの模様なのか、それとも机の影なのかで、その四角い紫の見え方が違ってくる。これはグリーンバーグの”homeless representation"の問題でもある。
2010.02.19[Fri] Post 02:14  CO:0  TB:0  -マチス  Top▲

COMMENT

NAME

SUBJECT

BLOG/HP

PASSWORD

COMMENT

SECRET: ※非公開コメントにしたい場合はBOXにチェックをして下さい ⇒ 

SUBMIT: 送信 

TRACKBACK

テーブルの影:『ボナールの庭、マティスの室内』(ポーラ美術館) のトラックバックアドレス
http://petapetahirahira.blog50.fc2.com/tb.php/665-f74529a7
 ⇒ この記事に対してトラックバックを送信する(FC2ブログユーザー)

Log in*/RSS*】  Design 「AZ+」Plugin Template...  Page Top▲
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。