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「現代芸術研究会」中山正樹(1)

「現代芸術研究会」に入会した。研究会のことはいずれ報告することにして、研究会のHPに写真が載っている中山正樹の作品について感想を述べる。

左の『BODY SCALE(円、三角、四角)』を見て驚いた。写真を使ったコラージュやインスタレーションは数多くあるが、これほどみごとに「図像の三層構造」を利用したインスタレーションは初めて見る。

タイトルの「BODY SCALE」の意味は身体の物差しのことだろう。この作品(例を『四角』にとる)には基準となる身体は三つある。まずL字型に腰を曲げた人物の図像客体の大きさ。それと図像主体の人物の大きさ。図像客体の人物の大きさはプリントの大きさに比例する。キャビネ版なら人物は10センチぐらいだし、広告看板の人物なら5メートルより大きいのもある。図像主題の人物は「意味」なのだから、キャビネ版でも広告看板でも、子供なら120センチうぐらい、大人なら170センチぐらいに見える。人物ではなく、得体の知れない生き物のばあい、大きさがわかるように、比較するものといっしょに写真を撮ることがある。

この作品の腰を曲げた人物の図像客観の大きさはわからない。作品の実物ではなく、作品の写真を見ているからだ。通常は作品を見ているときは大きさの基準となる「BODY SCALE」がある。観者の身体だ。だから作品を観者といっしょうに撮れば、図像客体の大きさは判ることになる。

作品は鉄の四角い枠の欠けた左上の部分に写真がはめ込まれていて、ちょうどL字の人物が左上の欠けたところを補って四角の形を完成させている。写真に注意をむけているときは図像意識が作動し、われわれは図像客体ではなく図像主題の170センチの人物を見ている。通常の写真を見る態度である。図像意識は想像意識のなかまであり、写真の空間は観者のリアルな空間から切り離されたイリュージョンの空間である。

鉄の枠に視線を移せば、図像意識は知覚意識になる。事物を知覚すると言うことは、その事物が存在する空間と私の身体の空間が連続しているということだ。フレームの大きさは観者の身体の「BODY SCALE」で測られる。

以上は、写真と鉄の枠を別々に見ている。でも観者は写真と鉄枠を別々に見ることはない。全体を視野にいれながら、写真や枠の部分に注意を向けながら鑑賞する。フレームを知覚しながら写真へ視線を移動すると、知覚意識が持続したまま写真の物理的層があらわれ、図像客体が知覚される。プリントの大きさの人物である。この大きさは作品の実物を見なければ判らない。

反対に、図像意識で写真の図像主題の人物を見ながら、鉄枠に視線を移動させると、鉄枠はリアルさを失って図像化され、鉄枠の寸法は、観者の身体ではなく、図像主題の「BODY SCALE」で測られることになる。

『四角』のプリントは展示場の天井の高さから推測して、たぶん等身大なので、図像客体と図像主題の大きさに違いがないことになり、ということは観者の身体と同じ寸法ということになり、鉄枠は知覚されているときも、図像化されたときもあまり大きさに変化がないとおもわれる。しかし、図像化された鉄枠の実在は希薄化していることは変わりない。それに比べ、真ん中の『三角』の図像客体は『四角』の図像客体の半分以下なので、たぶん図像化された三角のフレームは身長の二倍に大きく見えると思われる。ということは、観者のリアルな身体を基準にしたときより、図像主体の「イリュージョン」の身体を基準にしたときの方が二倍大きく見えるということだ。

実物を見ていないので最終的なことは言えないが、おそらくそんなにとんちんかんな分析ではないだろう。現象学的還元という方法は、知覚しながらではなく知覚を想像しながら、知覚の本質を記述することがある程度できる。
もちろん、それが可能なのは『BODY SCALE』にコンセプチャルな側面があるからだが、しかし、おなじ写真を使ったジョセフ・コスースのコンセプチャル・アート『1つおよび3つの椅子』は見ることが不要なのとはちがって、『BODY SCALE』は見ることを要求する作品なのである。

絵画の奥行きのイリュージョンについてはしばしば語られるが、「大きさ」というものが絵画においても彫刻においても重要だということを忘れがちだ。中山正樹の『BODY SCALE』は大きさの問題だけではなく、平面と立体、絵画と写真、知覚と想像などの問題を含んでいると思われる。

注:見直していないのでわかりにくいところがあるとおもいます。わたしのHP『絵画の現象学』を読んでください。長い間放ってあるので広告が邪魔をして読みにくくなっています。そのうちブログに引っ越すつもりです。

『中山正樹(2)』へ









2010.01.26[Tue] Post 00:52  CO:0  TB:0  美術評論  Top▲

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