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『1Q84スタディーズ BOOK1』 JAY RUBIN 若草書房

小谷野敦の『村上春樹は私小説をかくべきである』を読むために購入した。小谷野氏の『ノルウェーの森』論は『反=文芸評論』をアマゾンで買って読んだ。小谷野氏による村上の「悪口」には異論もあるが、おおむね納得できる。

ほかの「村上本」を図書館で借りて、いくつかの村上春樹論を読んだけれど、なるほどと思ったのは内田樹のものだけだった。内田氏は村上文学の世界性は父が登場しないことだというのだが、たしかに村上文学のデタッチメントな感覚はそういうところから来ていると言える。しかし、その父の不在が否定神学的論理によってサブカル批評になる恐れもある。

『1Q84スタディーズ BOOK1』にもサブカル批評とおもわれるものがある。井桁貞義はロシア文学、なかんずくドストエフスキーと比較することで、また、酒井英行はフェミニズム批評を適用することで、「物語の構造」を見つけては、そこに作者の意図や主張を読みとるというまったくのサブカル批評の手法になっている。

もともと村上自身がドストエフスキー的テーマやフェミニストの視点を取り込んでいるのだから、それを見つけたと言っても何の自慢にもならない。村上はさまざまな人物がそれぞれの物語を持ち寄る「総合小説」を書きたいというのだが、『1Q84』はむしろシミュレーショニズム(椹木野衣)で書かれたサブカル文学で、リーダーと青豆の対決にしろ、シングル・バーのマンハントにしろ、パロディーというより出来の悪いギャグとしか思えない。

それに比べ小谷野敦は村上の寄せ集めた「物語」にはだまされない。小谷野は物語の表層にとどまる。構造を探らない。そして引用されたものではなく、引用されなかったものから村上を理解しようとする。小谷野は村上がファンタジー物語をシミュレイトすることで、自分のリアルな物語を隠しているのではないかと推測している。

そう言うわけで、小谷野は村上が自伝小説、私小説を書くべきだというのだ。

小谷野敦は天吾がふかえりのパジャマの匂いを嗅ぐ場面に触れているのだが、いかにもエエカッコシの村上春樹としては違和感があった。小谷野氏は田山花袋の『蒲団』に比しているのだが、これが村上の私小説的な側面なのかどうかは私にはわからない。でも、小谷野敦の言うとおりなのだろう。そうでなければ、この唐突な感じは理解できない。
2009.12.01[Tue] Post 16:40  CO:0  TB:0  村上春樹  Top▲

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