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もとは美術展評のブログ 絵画と映画と小説と、そして哲学を少々

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パウル・クレー

パウル・クレー展(川村記念美術館)★★★★☆  多くの抽象画家は自然から抽象へ向かう。しかし、クレーはひとり抽象から自然へ向かうのだ。 klee
 東京の大丸ミュージアム(2月)のクレー展に行ったのは平日の午後だったので、気がつかなかったが、今回の川村美術館のクレー展では子供連れが目立った。  Kleeが日本で人気が高いのは、彼のメルヘン的な面が日本人の感覚にマッチしたのだろう。*
Kleeが日記や『造形思考』で書いている絵画理論を使って、彼の絵を解釈することも可能だろうが、面倒くさいし、第一、作家自身の理論で説明出来るような絵なら、つまらないに決まっているし、わざわざ見る必要もない。ここでは、クレーの造形理論に深入りせずに、抽象画と具象画という視点からクレーの絵を見てみよう。
  絵画は、もともと、具象的な世界を再現することだったはずだが、なぜ、自然を描くことをやめ、無対象の抽象画を描くようになったのだろう。最初に抽象画を描いたといわれるカンディンスキーは、絵画によって精神性を表現したいと考えた。それは当時にあっては音楽性を求めることであったのだが、そのためには自然の対象が邪魔だった。音楽は非常に抽象的なミディアムであり、もし、絵画に純粋性を求めるならば、具象的な対象を描くのをやめて、色と線と形で表現しなければならないと、カンディンスキーは、絵画から自然(具体的な対象)を排除したのである。
 また、もう一人の抽象画家マレーヴィッチは、音楽性ではなく超越的なもの崇高なものを表現しようとした。宗教画や風景画は、自然を通して崇高なものをあらわそうとしたが、果たしてそんなことができるのか。そもそも、有限なものを通じて無限なものに到達することは出来ない。むしろ自然は邪魔なだけで、崇高なものに到達するには自然をすてなければならない。ただ抽象的なものによってのみ、超越的な真理に到達できると、マレーヴィッチは考えたのだ。
 表現主義者だったカンディンスキーは、抽象的な線や形や色によってリズムや調和や雰囲気を表現しているが、マレーヴィッチはそのような音楽的な表層を、むしろ排除しているので、抽象画といっても両者の間には大きな溝が横たわっているように思える。もちろん、抽象画をこんな風に単純にまとめることはできないし、グリーンバーグの平面性などを考慮に入れなければならないのだが、抽象画の起源、すなわち、なぜ抽象画が自然を捨てたかを理解するにはこれで十分だと思われる。
 さて、カンディンスキーやマレーヴィッチと同時代人であったクレーも抽象画家の仲間に数えられることがある。たしかに、クレーには無対象としか思えない絵があるのだが、それは上で述べたような自然を捨てた抽象画ではなく、その抽象的なものから、自然の対象やあるいは文字や記号が現れてくる無秩序な線や図形なのだ。クレーの抽象は、自然が創造されるいわば材料であり、クレーは抽象画家ではなく、むしろ具象画家といえる。混沌から自然が創造される過程を、物質的な層から図形へ、図形から図像へ、そして自然へと、絵画の創造の道を行きつ戻りつ丹念に辿り続けた画家なのだ。
 唐突だが、ここで、もう一度フッサールの図像意識の三層構造を復習しておこう。クレーの抽象から具象への道はフッサールの図像意識の構造とおおむね重なると思われる。
 物理的図像(絵の具が塗られた支持体)→→図像客観(そこに描かれている図形や形)→→図像主題(現実の空間に存在可能な事物) 子供のモノクロ写真で言えば、銀化合物が付着した印画紙が物理的図像、灰色の身長10センチ子供が図像客観、そして、身長が120センチの肌がピンクで金髪の子供が図像主題ということになる。
 具象画を普通に鑑賞しているときは、図像主題を見るだけで、物理的図像(絵の具や支持体)も図像客体を見ることはない。ゴッホの絵は、絵の具が盛り上がって目立つのだが、通常の鑑賞態度では、われわれは絵の具を見るのではなく、ヒマワリを見るのだし、北斎の版画に数センチの富士山をみるのではなく、数千メートルの富士山を見るのだ。
 我々は鑑賞的な態度をやめて、物理的図像や図像客観に注意を向けることは出来る。しかし、それは通常の鑑賞的態度ではない。たとえばキャンバスに近づいたり、斜めから見たりすれば、たしかに図像主体は背景に退くが、それでは絵画を見たことにはならないだろう。絵画には、鑑賞するための正しい位置があるのだ。ハンス・ホルバインの『大使たち』の頭骸骨を見ればわかるが、正しい位置は主題が要求するのだ。(この「絵画を見る正しい位置」には図像に関する重要な問題があるのだが、このことは別の機会に論じたい)
 クレーは、主題の専制から絵画を解放した。それも、抽象画のように『主題』をキャンバスから追放するのではなく、三層構造のヒエラルキーを解体し、絵の具も線も図形もそして主題も、れぞれが自由に相手の領域に侵入し、互いに戯れるようにする。クレーの絵は、絵画による絵画論である。まずクレーは、支持体と絵具とうい絵画の物理的な層を解放してやる。彼は紙に絵を描き、それを一回り大きな厚紙に貼付する。切り取った紙の縁がギザギザに見える。あるいは、黒い紙(下塗り?)の縁をぐるりと数ミリ残して明るい色で絵を描き、それをさらに厚紙に貼付し、二重の支持体の上にさらに絵具が重ねられているのが露骨に見える仕掛けもある。さらには、黄麻の縁を白亜で縁取りし、内側に黄麻の繊維が、ほつれたように白くかすれ、繊維と絵の具が剥き出しになっている。また、クレーは絵具の物質性を見せるために、厚塗りをする代わりに薄塗りにして、塗り残しや滲みを作る。そうすれば、紙の肌理が透け見え、厚塗りよりも絵具の物質性が、かえって際立つ。
  クレーは「色彩が私を捉えた・・・私は色彩と一つになった。私は画家だ」と日記に記しているのだが、それにしても、クレーは鮮やかな原色は使わないし、大抵は濁った中間の色なのだ。かれは、チュニジア旅行で色を発見したというのだが、チュニジアには青い空や白い壁があったろうし、第一、ドイツから地中海沿いの国にやってきて、溢れる光を見なかったはずはない。  それなの、チュニジア体験のあとのクレーの色彩は、ほとんどは彩度の低い赤茶色と緑なのだ。茶色と緑は、キュビスムの色でもあるのだが、原色のように目立つ色彩ではない。
 なぜ、クレーは色を発見したといいながら、原色ではなく、濁った中間色をえらんだのだろう。クレーはチュニジア体験の前には、主としてエッチングやペン画が中心で、水彩画で色を使うことも試みてはいるが、多くは黒い絵の具を薄めて水墨画のように描いている。彼は線や黒い絵の具の濃淡で光を捉えようとしているのだ。
 クレーが色を発見したというのは、神の天地創造の光が、補色の茶色と緑色に分離し、地上的な光の色彩を発見したということだ。もちろん、迷彩色に使われているように、茶色は大地、緑は植物を意味するのであり、この地上にあらわれた最初の色彩でもあるのだ。クレーの茶色と緑の絵の中には、二つの補色が混じり合った黒の色面が隠されている。  さて、闇に差した光が色になり、色が線や面になり、そして、無秩序な線や面が形になり、有機的な自然になるのだ。  上にアップした『活気づいたものたち』の線は、曲がりくねり絡み合い、そこから海洋微生物や植物や人間が現れてくる。しかし、これはクレーの混沌からの創造という理論の図解のようで面白くない。線から自然への流れがあるだけで、自然から曲線への流れがないからだ。自然がバラバラになって線や図形に戻るベクトルがないからだ。  それに比べ、『隣の家へ』は抽象から具象への創造の過程が美しく描かれている。クレーが繰り返し使った格子模様が描かれていて、それが所々ゆがんでいたり、三角形になったりしている。四角は最も中立的な図形なのだ。マレーヴィッチの正方形は完全な抽象なのだ。それが歪みずれることによって、事物が姿を現すのだ。斜めの線は屋根になり、まっすぐの線は壁になり、傾いた線は奥行きになる。同じ線が屋根になり柱になり壁になる。茶色も緑もかすかに濃淡がつけられて、面が分割し融合し反転する。しかし、建造物は常に強いゲシュタルトである格子模様に還元される。  しかし、隣の家に走り込む人間は、頑固に人間のままであり、具象世界に碇を降ろしている。人間は万物の尺度であり、大きさだって人間の体が基準、しかし、この人間は記号化されて、大きさの尺度にならない。記号なら大きく書いても小さくかいても、意味はかわらない。人が記号になるなら、家も図形記号(アイコン)に戻ってしまう。  『隣の家へ』はクレーがなくなった1940年に描かれたものだが、この絵にはクレーが探求した、絵の具や支持体や光、色彩、線、図形、抽象と自然、そして記号の問題がすべて描かれている。おそらく今回の展覧会のなかでは、最高の傑作だとおもわれる。
  クレーは谷川俊太郎をはじめとして、ひどくメルヘン的なものと思われているが、少なくとも、多くの日本人はそう受け取っているのだが、それらの感傷的な作品はむしろクレーの目指したものではない。晩年の天使のシリーズにしても、本来は可愛いキャラクターを描きたかったわけではなく、『活気づいたもの』と同じよう、無秩序に散らばった線分から、人間の形が生成するのを描きたかったのだと、僕には思われる。それが、病に襲われ、死の予感から、少しセンチメンタルになったのかも知れない。  クレーの絵画を「抽象から具象へ」と捉えるなら、残された膨大な数の作品に傑作はそんなに多いとは言えない。わたしがみた(画集を含めて)作品の中で好きなのはのは、『隣の家へ』と『夕暮れの火事』それと『大通りと脇道』である。  それから、クレーの作品はみんな小品だと言うことを付け加えておかなければならない。まともな絵画は小さいのだ。もちろん、これは図像主義者の偏見です。
2006.08.23[Wed] Post 01:49  CO:0  TB:0  クレー  Top▲

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