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映画のナレーション (『光の雨』 高橋伴明監督(2)☆)

この映画の最大の欠点は全共闘世代の根拠のない選良意識と懐古趣味だ。たぶん彼らは特攻帰りの特権を要求しているのだ。

大杉漣の失踪で監督が変わり、全共闘世代ではない萩原聖人が監督になる。大杉漣は自分がかって過激派にいたことをしっているらしき人物から謎の手紙を受けとったことや、「総括の援助」につながっていく暴力シーンをうまくとれないことなどがあって突然失踪する。そのあと過激派のことを知らない新しい荻原監督は本当は凄惨なリンチをグロテスクにならないように、むしろ淡々と撮って行く。

監督の失踪はいかにも唐突である。失踪の形式的な意味は、『光の雨』を前半と後半に分け、前半の全共闘世代の監督から後半のポスト全共闘世代(?)の監督へ交替したということなのだが、それにしても失踪はいかにも唐突である。ただ、当時の過激派の運動が全共闘世代に深い傷跡を残したという感傷的な自己愛の表現にしかなっていない。

失踪の前に、大杉監督が裕木奈江に当時何をしていたか聞かれ、ノンポリで麻雀ばかりしていたと嘘を言う場面があるのだが、なぜ嘘を付いたのか。葉書の文面は脅迫だったのか。暴力シーンになぜそれほどにこだわりがあるのか。そんなことをすべて曖昧にしたまま失踪する。

監督が変わったあと、若い役者たちは殺人者を、むしろ楽しんで演じ、無事撮影はおわる。前半で仲間を殺す気持ちが分からないと言って、リンチの演技に尻込みしていた若い役者たちが、後半では殺人者を淡々と演じていたけれど、それは、過激派のリンチ殺人には、全共闘世代が思っているほど深い意味があるわけではなく、ただの日常的な出来事であることを示しているのだ。

最後の原作者の立松和平のナレーションはせっかくの高橋伴明監督の工夫、すなわちメイキングという「メタ映画」を二重化することで映像を相対化する工夫を、台無しにしている。ナレーションは映像に対する暴力であり、彼の訛りはなおいっそう純朴という名の暴力なのである。

マイナス星ひとつで、星一つ半★☆
2009.09.15[Tue] Post 00:49  CO:0  TB:0  映画  Top▲

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