ART TOUCH 絵画と映画と小説と

もとは美術展評のブログ 絵画と映画と小説と、そして哲学を少々

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.--[--] Post --:--  CO:-  TB:-  スポンサー広告  Top▲

COMMENT

NAME

SUBJECT

BLOG/HP

PASSWORD

COMMENT

SECRET: ※非公開コメントにしたい場合はBOXにチェックをして下さい ⇒ 

SUBMIT: 送信 

TRACKBACK

スポンサーサイト のトラックバックアドレス
http://petapetahirahira.blog50.fc2.com/tb.php/608-b7bcb88f
 ⇒ この記事に対してトラックバックを送信する(FC2ブログユーザー)

ジャクソン・ポロックの問題(2)

『ジャクソン・ポロックの問題(1)』からつづく

抽象画を批判する言葉に「壁紙」というのがある。壁紙というのは左右上下のない連続模様ということなら、このポロックの作品《無題》は壁紙ではない。

《無題》を眺めて思い浮かぶのは、小学生の「図画工作」だ。図工の先生が自分でまずやってみせる。画用紙に色をいろいろ塗って、そのあと黒いエナメルペイントを垂らして作る。気の利いた小学生ならそれなりに面白い作品ができあがる。

小学生の絵とポロックを比べることは無知もはなはだしいと言われそうだ。たしかに、この《無題》にもモダニズムの平面性や奥行きのイリュージョンとの格闘がある。ドリッピングは、キャンバスの物理的表面を顕在化する。

しかし、ドリッピングの技法は偶然を利用した手法なので、筆で描く手法とちがって、だれがやってもそこそこには支持体の物理的表面が露呈する。そういう意味では、小学生の作品にだって物理的表面と奥行きのイリュージョンはそこそこに生まれる。そういう意味では、小学生とポロックに違いはない。

違いがあるとすれば、それは、この《無題》がポロックの絵画の深層心理的な表現主義から表層的な抽象表現主義への移行、ひいてはアメリカの抽象画の文脈に収まっていることを示す作品だということだ。

ポロックの50年代のオールオーバーなポード絵画は、この《無題》よりも技法的に洗練され大きなキャンバスを使っているので、小学生にはとても無理だろう。それに、《無題》では色面とドリッピングされた絵具の表面が分離しているが、50年代の作品は絵画平面と浅い奥行きの空間は融合している。そういう意味では小学生に限らず、他の画家が模倣しようとしてもなかなか難しいといえる。

確かに難しいけれど、それはどちらかといえば職人の手業にちかい技巧的な難しさで、だからといって、わたしにはそれほど感動をともなったイリュージョンを呼び起こすわけではない。

とは言ってもポロックを理解するのをあきらめたわけではない。セザンヌの面白さだって理解するのに50年かかった。ポロックだって、そのうち分かるかもしれない。ただ、残念なことに日本ではポロックの主要な作品を見ることができない。ポロックは動かすと絵の具がはがれるおそれがあって、運搬が難しいそうだ。
2009.08.16[Sun] Post 19:55  CO:0  TB:0  -ジャクソン・ポロック  Top▲

COMMENT

NAME

SUBJECT

BLOG/HP

PASSWORD

COMMENT

SECRET: ※非公開コメントにしたい場合はBOXにチェックをして下さい ⇒ 

SUBMIT: 送信 

TRACKBACK

ジャクソン・ポロックの問題(2) のトラックバックアドレス
http://petapetahirahira.blog50.fc2.com/tb.php/608-b7bcb88f
 ⇒ この記事に対してトラックバックを送信する(FC2ブログユーザー)

Log in*/RSS*】  Design 「AZ+」Plugin Template...  Page Top▲
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。