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村上春樹とサド侯爵(2)

『村上春樹とサド侯爵(1)』からつづく

『1Q84』の暴力は曖昧である。「さきがけ」はリーダーではなく、リトルピープルに支配されている。リトルピープルはピープルだから、ビッグ・ブラザーのような独裁者ではなく、民主主義の仲間かもしれない。だからこそ、青豆はリーダーを殺すことを躊躇したと考えればつじつまがある。

リーダーは、天吾を救うか青豆自身が生き延びるかの二者択一を青豆に迫る。そして、青豆は天吾をすくうためにリーダーを殺し、自らの死を選ぶ。リーダーを殺したのは暗殺者としての任務ではなく、天吾への愛のためだ。

『1Q84』の暴力は「愛のジレンマ」としてあらわれるが、『海辺のカフカ』の暴力は「暴力のジレンマ」としてあらわれる。暴力に抗するための暴力だ。

「暴力のジレンマ」は、『第16章』のジョニー・ウォーカーとナカタさんの対決のなかに現れる。猫の言葉が分かるナカタさんは、ひとに頼まれて、猫のゴマを探している。ジョニー・ウォーカーは猫の魂で笛を作るために猫を殺す。殺すために集めた猫のなかにゴマがいる。ジョニー・ウォーカーはナカタさんの目の前で猫の腹を割いて、切り取った心臓を口に入れる。次々と殺して最後にゴマを殺すという。

そしてジョニー・ウォーカーは言う。「私が猫たちを殺すか、あるいは君が私を殺すか、どちらかだ」と言う。ナカタさんは暴力を止めさせるために暴力を行使しなければならない。

ラスコーリニコフは、「一つの微細な罪悪は百の善行に償われる」「選ばれた非凡人は、新たな世の中の成長のためなら、社 会道徳を踏み外す権利を持つ」(wiki)と、金貸しの老婆を殺害し、奪った金で世の中のために善行をしようと企てる。それにたいして、ジョニー・ウォーカーはただ笛を作るために猫を殺すという。

「いいかい、私がこうして猫たちを殺すのは、ただの楽しみのためではない。楽しみだけのためにたくさんの猫をころすほど、私は心を病んではいない。というか、私はそれほど暇人ではない。こうやって猫を集めて殺すのだってけっこう手間がかかるわけだからね。私が猫を殺すのは、その魂を集めるためだ。その集めた猫の魂を使ってとくべつな笛を作るんだ。そしてその笛を吹いて、もっと大きな魂をあつめる。そのもっと大きな魂を集めて、もっと大きな笛を作る。最後にはおそらく宇宙的な大きな笛ができあがるはずだ。しかしまず最初は猫だ。猫の魂を集めなければならない。それが出発点だ。かくかように、ものごとにはすべからく順番というものがある。順番をきちんと正確にまもるのは、つまり敬意の発露なんだ。魂を相手にするというのはそういうことだからね。パイナップルやメロンなんぞを扱うのとはわけが違う。そうだね。」
「はい」とナカタさんは返事をしたが、実のところさっぱりわけがわからなかった。

ジョニー・ウォーカーのいうことは、混乱している。ラスコーリニコフの理論は目的は手段を正当化するという合理主義の哲学であり、明晰な理論である。しかし、ジョニー・ウォーカーの言う「物事の順番」というのはわからない。そもそも笛を作るためになぜ猫の魂が必要なのだろうか。

ジョニー・ウォーカーが説明をすればするほど事態は謎に満ちてくる。笛の音は自分には聞こえるけれど、普通の人には聞こえないという。なぜ、笛をつくるのかジョニー・ウォーカーにも分かっていない。かれは生きることに疲れた。年齢を忘れるくらい長く生きて、猫を殺すのにも飽きてしまった。

「・・・・。 しかし生きている限り、猫を殺さないわけにはいかない。その魂を集めないわけにはいかない。順番をきちんと守って1から10に進み、10まで行ったらまた1に戻る。その果てしない繰り返しだ。」

ジョニー・ウォーカーはシジフォスの不条理を生きている。自分から止めるわけにはいかない。自殺もできない。誰かに頼んで殺してもらわなければならない。それが決まりだ。

思い出すのはサド侯爵だ。うろ覚えだが、サドの作品に、心臓を切り取ってヴァギナに挿入する場面があった。神が存在しなければすべてが許される。ジョニー・ウォーカーはナカタさんの目の前で猫の腹を切り裂き、心臓を取り出して、言う。

「ほら、これが心臓だ。まだ動いている。見てごらん」
 ジョニー・ウォーカーはそれをしばらくナカタさんに見せてから、当然のことのように、そのまま口の中に放り込んだ。そしてもぐもぐと口を動かした。何も 言わずに、それをじっくりと味わい、時間をかけて咀嚼した。その目には焼きたての菓子を口にしている子どものような、純粋な至福の色が漂っていた。それか ら口もとについた血糊を、手の甲でふき取った。舌の先で丁寧にくちびるを舐めた。
「温かくて新鮮だ。口の中でまだ動いている」

ジョニー・ウォーカーは楽しみのために猫を殺すのではないと言うが、彼は十分に楽しんでいる。
食欲が性欲のメタファーなのは村上春樹に限らないけれど、村上ほど食事をセックスの導入に使う作家はいない。ここでは食べることがそのまま性交になっている。

犬を食べていいなら猫だって食べていいはずだ。村上はポルノグラフィーをソフトにするように、カニバリズムをソフトにする。

「猫捕り」が猫を捕獲して、実験動物にしたり、三味線にしたりする。猫を三味線にするのは昔からだ。しかし、ジョニー・ウォーカーは三味線にするのではなく、猫の魂で笛を作るためだ。そして、その笛の音は普通のひとには聞こえない。ここのあるのは読者を混乱させるための謎々と象徴と寓意の混交物で、ただの思わせぶりにすぎない。

「猫殺し」を殺すことが許されるだろうか。たぶんナカタさんには許される。ナカタさんは小学生のとき先生の暴力で気を失い、それがもとで知恵遅れになった。彼は無垢の「白痴」なのだ。かれは猫と話ができる。かれは猫に名前をつける。そのお話ができる猫が目の前で殺されていく。

殺されるのはただの野良猫ではない。ナカタさんの友達の猫だ。ジョニー・ウォーカーはナカタさんを問いつめる

「まず、君は私を恐怖する。そして私を憎む。しかるのちに君は私を殺す」

ナカタさんにジョニー・ウォーカーを憎む理由がある。憎悪は「人殺し」を正当化できない、ただ、動機にはなる。しかし、ナカタさんは恐れおののくばかりで、憎しみはない。ナカタさんは無垢の「白痴」だからだ。そのかわり読者のなかに殺意が芽生える。

ジョニー・ウォーカーはシジフォスの苦役から解放されたいと願う。しかし、自殺はできない。それが決まりだ。その掟がどこからやってくるのかわからない。殺してくれと頼まれて殺すなら、それは嘱託殺人だ。しかし、憎悪をもって殺せば、殺人罪である。

「私が猫たちを殺すか、あるいは君が私をころすか、どちらかだ」とジョニー・ウォーカーは言うが、この二者択一は奇妙である。もちろん、暴力には暴力しかない。しかし、猫を殺すのを止めさせるためにジョニー・ウォーカーを殺す必要はない。怪我をさせれば十分だ。

猫たちを救うためにジョニーを殺す必要はない。殺すためには憎悪が必要だ。嘱託殺人ならジョニーの不死の運命にたいする同情が必要だ。ナカタさんには憎悪を同情もない。無垢なる「白痴」ゆえに、悪魔のジョニー・ウォーカーの誘惑に負けただけだ。「白痴」のナカタさんに罪はないというのが村上春樹の弁護論だ。

『第16章』は村上春樹の『罪と罰』になりうるだろうか。日本文学の中で、これほど深く宗教的問題を描いた小説はない、とひとまずは言える。しかし、それが成功しただろうか。意見は二つにわかれるだろう。

わたしもどちらかに決めかねている。『第16章』は、ジョニー・ウォーカーがナカタさんを、じつに巧みに、ジレンマに追い込んでいく。しかし、子細に読めば、わたしが上で分析したように、あからさまに破綻した論理を歯切れのよい文体にのせて誤魔化しているだけのようにおもえる。

それにもかからわず、『16章』は楽しめる。「暴力のジレンマ」も、まったくの仮構とはいえない。しかし、ほかの章はつまらない。父親殺しのテーマはとってつけたようだし、突然近親相姦を暗示するようなシーンも何か深い意味があるように見せる小道具以上のものではない。『罪と罰』はラスコーリニコフが老婆を殺したあとに物語が始まる。そこに救いのテーマが現れる。

しかし、ナカタさんの罪と罰は、エディプスの神話のメタファーのなかに紛れてしまう。

暴力と性のテーマは、『1Q84』のリーダーと青豆の対決よりも、『海辺のカフカ』のジョニー・ウォーカーとナカタさんの対決の中によくあらわれていることはたしかだ。
2009.08.11[Tue] Post 22:31  CO:0  TB:0  村上春樹  Top▲

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