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もとは美術展評のブログ 絵画と映画と小説と、そして哲学を少々

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村上春樹とサド侯爵(1)

性と暴力といえばマルキ・ド・サドだろう。

『1Q84』の評論はこの本を含めて、まだ本格的なものはでていない。ほとんどが春樹ファンクラブの会報か村上ワールドの攻略本の類だ。

村上のファンには、いろいろ蘊蓄をかたむけられるし、突っ込みどころまんさいだったりして、楽しみ方がたくさんあるようだけれど、端的に文学作品としての評価がない。

カルト教団とフェミニスト暗殺団をとおして、性と暴力が描かれているのだが、それが小説として成功しているかどうか、ということは、読んでおもしろく、同時に深く考えさせる物語になっているのかどうか、評論ならそこのところを書いてほしい。

暗殺団の世界は少し雑だけれど戯画化されていて楽しめなくはない。それにくらべ、カルト教団の世界は児童虐待が性暴力として描かれているだけで、内ゲバやテロの暴力は曖昧に描かれているだけで、結局はカルトのリーダーとフェミニスト青豆の対決は「愛のジレンマ」の二者択一の問題になっている。

この対決がドストエフスキーの『大審問官』の対決ではなく、映画の『地獄の黙示録』のカーツ大佐と暗殺者のウィラード大尉の対決を思い出させたのは、片方が暗殺者であり、もう片方のグルがそのことを知っており、自分の死を覚悟しているという状況が似ているからだ。

二巻までの物語の流れからみれば、宗教カルトとフェミニズムカルトは相打ちになって、リーダーの聖性はふかえりの秘儀によって天吾に伝えられ、どうやら幼なじみの天吾と青豆の二人の初恋が、次第に、センチメンタルなすれ違いの純愛物語になっていく。このあたりの展開はちょっとどうなんだろうと思うが、村上春樹には二人の性と愛の関係をどう展開するかの秘策があるのだろうか。

いまのところ、この物語の主題ははセンチメンタルな「愛によって世界を救えるか」という携帯小説になっている。

つづく
2009.08.08[Sat] Post 17:42  CO:0  TB:0  村上春樹  Top▲

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