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特集 「村上春樹『1Q84』を読み解く」(『文学界』八月号)

文学界の村上春樹特集を読んだ。以下の評論家が寄稿している。


加藤典洋 「『桁違い』の小説」、 清水良典 「〈父〉の空位」、 沼野充義 「読み終えたら200Q年の世界」、 藤井省三 「『1Q84』の中の『阿Q』の影  魯迅と村上春樹」


藤井省三の村上春樹論は文藝春秋社の『世界は村上春樹をどう読むか』で読んだ。中国との関わりを論じたもので、そういう村上解釈もあるのかと思った。

今度の藤井氏はカルト集団「さきがけ」のリーダーはヤマギシ会に所属した中国文学者新島淳良がモデルではないかと想像をたくましくするのだが、なんでも中国と結びつける藤井氏のやり方は『ノストラダムスの大予言』の解釈のようで、ちょっとドンデモになっていないか。

ほかの三人も少しトンデモ風である。それぞれ強調するところは異なるが、「父の死」や「父の空位」や「父親殺し」が『1Q84』のテーマだと言っている。たしかに、カルト教団やフェミニストの殺人集団の物語なら父や神や超越者がモチーフになってもおかしくない。

青豆たちはチャイルド・レイプやDVの被害者を救うために、加害者に保険を掛けて殺す。しかし、罪と罰の問題は生じないようだ。最後の仕事で、カルト教団のリーダーを殺すのだが、それはリーダーが世界を救済するために、自分を犠牲にするらしいのだが、そこの理屈は私にはよく分からなかった。ともかく、『地獄の黙示録』の対決よりリアルに描かれている。青豆がリーダーに施す整体術が性行為による男と女の戦いの様相をていするところは、村上春樹の独擅場である。

さきがけのチャイルド・レイプの性的秘儀は教祖の超越性を次に引き継ぐため(らしい)のだが、それもカルト教団の善悪二元論の教理だから、わたしには理解できないし、興味もない。だから、「空気さなぎ」、「パシヴァ=レシヴァ」、「マザ=ドウタ」などなどの言葉は思わせぶりなだけで、謎解きをする気はおきない。

『猫の町』という小説が出てくるが、その話を聞かされても、他人の夢の話を聞かされて、その解釈を強要されるようで、ただ不愉快なだけだ。ほかにもチェーホフの『サハリン島』やドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』、それから『平家物語』などが出てくるのだが、それがどんな意味があるのか判らない。たぶん評論家の商売繁盛のためだろう。

ドストエフスキーの『大審問官』の教理問答が「さきがけ」の教理と関係があるらしいが、どんな関わりがあるのか私にはわからなかった。大審問官は言う。人々は自由な信仰には耐えられない。奇跡を望む。しかし、イエスは常に奇跡を起こすことはできない。そこで、われわれ聖職者が奇跡の代わりに秘蹟をおこなうことで人々にパンを与え、天国を約束したのだということではないか、わたしには聖職官僚の擁護論としか思えない。

「さきがけ」の善悪相対論と性行為の秘蹟がどうつながっているのか、青豆は納得したようだが、わたしには解らなかった。加藤、清水、沼野の三人の論者も父=神の図式は持ち出すのだが、それはカルトの中では近親相姦という形でしかあらわれていないのではないか。

『1Q84』で描かれるフェミニズムもカルト教団も性と暴力が融合した原理主義なのだが、殺人集団のフェミニズムの暴力性は、フェミニストは怒るだろうが、まあ、わからないことはない。でも、教団の方はSFファンタジーの世界で、荒唐無稽としかおもえない。

フェミニストたちは戯画化されているけれど、カルト教団については(性的秘儀をふくめて)、笑いが欠けている。現実のカルト教団オウム真理教には、まったくの自己戯画化があって、自称宗教学者たちを思いっきりからかっていたではないか。

普通に読めば、「父の不在」とか「王の暗殺」など、そんな大げさなことではなく、わたしの最初の印象「スラップスティックで始まった物語がハードボイルドになり、そして、ハードボイルドがメロドラマになる」というのが依然として正しい読み方のような気がする。

むかし菊田一夫の『君の名は』という「すれ違い」のラジオ・ドラマがあって、放送時間になると女風呂ががらがらになると言われた。ためしにその時間に女風呂をのぞいて見たけれど普段と変わらなかったような記憶がある。昭和の豆知識ね。
2009.08.01[Sat] Post 00:54  CO:0  TB:0  村上春樹  Top▲

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