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亀山郁夫の『1Q84』論

亀山郁夫が『新潮45』に『神の夢、または《1Q84》のドストエフスキー』を書いている。

亀山氏は『1Q84』にドストエフスキーと同じように「父親殺し」のテーマがあるという。もちろんそれは神の沈黙や神の代理人にかさなるテーマである。これが村上の作品が世界文学たりえる理由だ。内田樹が村上文学の世界性は「父の不在」だということの裏返しだ。

いま『1Q84』が手元にないので確認できないが、ふかえりは父親らしいカルトのリーダーにレイプされたと暗示されている。とすれば青豆はフカエリの代わりにふかえりの父を殺したことになる。しかし、これはエディプス・コンプレックスとはいえない。ふかえりが殺すなら母親であろう。もちろんエディプス・コンプレックスなんて嘘っぱちだと思っている。

ドストエフスキーの「大審問官」の主題があらわれるのはもちろんカルトのリーダーと暗殺者青豆との対決のなかだ。たしかに善をなすために悪が必要だと言うのだが、学生運動がカルト集団になり、リーダーが教祖になって性的秘儀を行う理由はちょっとわからない。もっとも分からないのがカルトの教理だが。

私は、殺し屋青豆とリーダーの対決のところで『地獄の黙示録』のカーツ大佐と殺し屋ウィラード大尉の対決をおもいだしたのだが、とくに大審問官のことは思い出さなかった。性と暴力のテーマはフェミニズムの戯画化としては巧みに表現されてはいるが、カルト教団の性と暴力の表現は中途半端におわっている。

リーダーの述べる教理も何か特別の深い意味があるとは思えない。カルトの教理なんて何の意味もないことはオウムで判っていることだ。村上は『アンダーグランド』でインタビューをした被害者にいったい何を聞きたかったのだろう。そんなところに神の不在証明をもとめても無駄だろう。

村上春樹は『大審問官』をわかりやすくした小説を書きたいと言っている。『1Q84』はその試みの一つらしい。続編があるのかどうか判らないが、これまでのところ、成功しているとは思えない。「大審問官」のなかに、折檻された小さな子供が寒い便所の中で「神様助けてください」と泣き叫ぶ話が神の不在証明として出てくるが、『1Q84』のレイプはそのことを暗示しているのかもしれない。
2009.07.24[Fri] Post 02:19  CO:0  TB:0  村上春樹  Top▲

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