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『小説から遠く離れて』蓮實重彦 『ノルウェーの森』再読(2)


小谷野敦の『反=文藝評論』の副題は『文壇を遠く離れて』で、これは蓮實重彦の『小説から遠く離れて』から取ったものらしい。この本は一度読んだことがある。バルトの詐欺的な構造分析の手法を真似たものだろう。説話的構造の分析と称して、意味と構造をごっちゃにした、結局は何を言いたいのかいっこうにわからない饒舌にただただ感心するばかりで、結局は途中で読むのを止めてしまった。

冒頭、井上ひさしの『吉里吉里人』と村上春樹の『羊をめぐる冒険』の比較分析をしている。はじめの部分を読み返してみたけれど、今更ながら感興がわかない。比較といわれても、『吉里吉里人』はなにしろ数ページ読んだだけで、そのユーモアを気取った政治漫画風のお笑いにおそれをなして読むのをやめた。

ともかく『吉里吉里人』も『羊をめぐる冒険』も「依頼と代行」による「宝探し」の物語だと蓮實氏はいう。そして「テクストとしての小説の言葉は代置や交換をかたくなにこばんでいるが、構造としての物語はむしろそれを歓迎する。」(『小説から遠く離れて』p25)と続けける。

「小説の言葉」が代置や交換をこばむのは、それがコノテーションに汚染されているからだ。それに比べ「構造としての物語」が代置変換が可能なのは、それが意味の希薄化した構造だからだ。

そもそもレヴィ・ストロースの構造主義の間違いは、差異のシステムとしての構造と、意味の分節化としての構造をごちゃ混ぜにしてしまったことだ。確かに言葉(シニフィアン)と意味(シニフィエ)は密着しており、コインの裏と表のようではあるが、両者の関係はあくまで恣意的だ。

レヴィ・ストロースの『親族の基本構造』は音韻論を社会制度に適用したものだが、親族の呼称の弁別差異のシステムを発見したわけではなく、ただ、親族制度のなかに数学的関係を発見し、その意味分析をしただけだ。

差異のシステムである音韻論は「おじ」と「おば」が異なる言葉(記号)として使用可能だということを説明するが、実際にどの音韻の組み合わせを「語彙」として使うか、そしてそれが実際にどんな意味なのかは約定的慣習的にきまる。耳の不自由な者にとって慣れ親しんだ手話は音声言語よりはるかに生きた言葉なのだが、それは彼らにとって、音声より視覚イメージを使ったほうが、差異のシステムの操作が容易だからだ。

構造が記号と意味のアマルガムであることは変形(生成)文法を見ればわかる。単純な規則で文の構造を変換したり、文の要素に別の要素や文を代入して、普遍の構造を導き出す。

構造には表層構造あり、それを変形した深層構造がある。同じように、表層の意味があって、深層の意味がある。そして、この表層がシニフィアン(意味するもの)に、深層がシニフィエ(意味されるもの)になる。この方法を作り出したのは構造主義ではなくフロイトの精神分析だ。構造主義と精神分析が親和的なのは偶然ではない。

まだ、途中だが『ノルウェーの森』には幾つもの三角構造が出てくる。始まりは「直子とキズキとワタナベ」のトリオ、キズキが自殺して、その代わりレイコが入ってきて「レイコと直子とワタナベ」になる。レイコの過去には「レイコと十七歳のレズの子と夫」の三角形があり、レイコは離婚している。東京の寮では「永沢とハツミとワタナベ」、大学では「ワタナベと緑とそのボーイフレンド」の三角形がある。ほかに三角形ではなく寮の同居人である「突撃隊」との対関係がある。この「もてる=もてない」の二項対立は他の不安定な三角構造の支柱の働きをしている。

おそらく、構造主義者ならば、この三角構造を変換し代置することで、いくつもの表層的な三角構造の深層に、たとえば、ポストモダンの衣装で着飾ったエディプスの三角形なんぞを持ち出したりするのかもしれない。しかし、小説を読む楽しみは、絵を見る楽しみと同じように、ひたすら表層に身を任せることだ。素直に読めば、『ノルウェーの森』の三角形は「情痴の三角関係」だと判る。

もちろん、まだ、最後まで読んではいないのだが、『ノルウェーの森』と比較すると、『1Q84』は情痴小説からなんとか抜け出そうとしているようには見える。

いま、『ノルウェーの森』の九章までよんだ。もう少しで終わる。

2009.07.15[Wed] Post 01:05  CO:0  TB:0  村上春樹  Top▲

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