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もとは美術展評のブログ 絵画と映画と小説と、そして哲学を少々

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写真家星野道夫

昨日、駅までニョウボを迎えに行こうと階下に降りてテレビをつけると、星野道夫のことをやっていた。

外出の支度をしながらチラチラと見ただけなので、番組内容はよく分からないのだが、「自然」や「人」という言葉がしきりに耳に入る。誰だからわからないのだが、本がいっぱい詰まった書棚に囲まれて、胡座をかいて、星野道夫のことをロマンティック(?)に語っている。なんだか変だなぁーと思ったけれど、支度ができたので、テレビのスイッチを切って、家を出た。

星野が熊に襲われて死んだとき、カメラ雑誌の編集者に、「ネイチャーフォトグラファーなら仕方がない」と言って、顰蹙を買った。今、ネットで検索してみると、星野が自然を甘く見ていた、事故は避けられた、いやそうではないミチオは自ら死を選んだのだ、というような不思議な論争が続いている。

私がテレビを見たときの違和感は、「写真家は被写体について語る特権があるのか」ということだ。もちろん見たものについて語る権利はある。しかし、写真家にとって見ることは写真に撮ることだ。写真にとれないものについて語るのは写真家の仕事ではない。すべては写真の中にある。

語る画家がいるように、語る写真家もいる。フォト・ジャーナリストはストーリーにぴったりの被写体を探す。それは写真ではなく、挿絵だからだ。現場にいたことの臨在証明だ。それは戦争でも自然でも環境でも同じ事だ。

星野道夫の事故のあと、書店に並べられた写真集を見た。どれも凡庸なネイチャーフォトのように見えた。そして通俗的な文学趣味の言葉がちりばめられていた。

戦争と政治を追いかけた長井健司も同じだ。かれもまたストーリーに従って傑作写真をものにしようと、戦乱の地を駆けめぐった。そして、ミャンマーでデモ隊に襲いかかる兵士(なんという紋切型)を撮影(shoot)しているところを撃ち殺された。

長井さんを英雄にし、星野さんの神話つくろうと知人や友人たちは語り継ぐ。しかし、長井さんはスクープ映像を撮ろうとして、ピューリッツァ賞の被写体になってしまい、星野さんは自然との交感を夢見ながら、その自然に食いちぎられて命をおとした。これは英雄譚でも神話でもない。もちろん悲劇でも喜劇でもない。メロドラマなのだ。


わたしは寡黙な写真家が好きである。本橋成一は数少ないそのひとりである。

2009.05.16[Sat] Post 03:10  CO:0  TB:0  写真  Top▲

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