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アフリカ・リミックス(森美術館)★★☆

 多文化主義文化的植民地主義  

アート度{2}:わからない。
目立つ度{1}:アフリカの雑貨を売る店、あるいはアフリカ・レストランの飾り付け
コピー度{5}:いくらでも。
美術度{0}:民具祭器衣装はアートの材料
おしゃれ度{1}:古くさい。カルティエのアフリカコレクションと代わり映えしない。
 *
 あまり楽しめない展覧会だった。なにも新しいものはない。おそらく理屈は新しいのだろうが、見れば分かるというものではない。むしろ、見るのが苦痛だった。それでも、我慢して見て回ったが、さすがにカタログを買うのはやめにした。

 会場を巡りながら、どうしても、カルティエ美術財団のアフリカ・コレクションを思い出した。中にはカルティエのコレクションになっているアフリカのアーティストもいた(ようだ)。
 いろいろな現代芸術の衣装を纏っているのだが、それは傾向というものであって、欧米のアート思想にアフリカ的な味付けをしたものに違いない。たとえば、日本で言えば、シュールリアリズムなどのヨーロッパの流行に、縄文という日本的味付けをした岡本太郎のようなものではないか。

 この展覧会のキューレータはシモン・ンジャミというカメルーン人なのだが、このアフリカ人が選んだアートとカルティエ美術財団が選んだアフリカン・アートが似たようなものだと言うのは、多文化主義を標榜する現代アートとしては皮肉な結果ではないだろうか。

 写真の例をあげよう。十年ほど前に、資生堂ギャラリーで「セイドゥ・ケイタ写真展」http://www.shiseido.co.jp/s9609gas/html/gas000sk.htmが行われた。    
 あまり注目されない展覧会だったが、私はひどく感動した。写真屋さんが撮った記念写真だから、みんな晴れ姿で、生き生きと写っており、アウグスト・ザンダーの『時代の顔』を超えたすばらしい作品になっている。ある評論家は、金髪のカツラを被せた赤ん坊の写真に植民地主義を発見していた。それがどうしたというのだろう。
 同じ頃エドワード・スタイケンの『人間家族』が二度目の巡回展で日本にやってきた。この写真展は白人中心主義の人種偏見に満ちたもので、黒人も自分たち白人とおなじように赤ん坊を生んで喜んでいるとか、あるいは、白人の結婚式は新婦と新郎が手をつないで野原を駆けているのに、日本などの結婚式は、奇妙な国の奇妙な風習のように撮っているのだ。しかし、新聞雑誌は第一回巡回展の感動をふたたびと言うばかりで、この展覧会の白人中心主義を指摘するものはいなかった。

 それならアフリカ・リミックスの写真はどうだろう。何もないのだ。ナショナル・ジオグラフィック的なものはない。自然も自然破壊もない。戦争も飢餓もない。もちろんポルノグラフィーもない。記念写真もない。あるのは、退屈な写真ばかりだ。
 もちろんこれらの写真がアートだとは承知している。美しかったり面白かったりすれば、アートでなくなることも承知している。なにしろ写真はpictureではなく、indexなのだ。
 しかし、欧米の写真芸術の背後には百五十年の写真史があるが、アフリカの写真史はどうなのか、セイドゥ・ケイタの視線を受け継ぐ者はいるのだろうか。白人支配者の変わりに、アフリカの風景や人々を撮っている写真家がいるのだろうか。
 それとも、そう言う写真こそが、アフリカを搾取する視線だというのだろうか。
 どちらにしろ、この展覧会に展示されている写真は、カルティエ美術財団と同じように、多文化主義反植民地主義の白人の視線に犯されている。たとえそれに反抗しているとしても、ヨーロッパの現代アートのパラダイムから抜け出すことはできない。

 このことで、日本の近代美術のことを考えないわけにはいかない。どんな日本美術史の本を読んでも、そこにはフェノロサによって、作られた「日本画」の矛盾について書いてある。洋画もまたその影響を免れることは出来なかったという。しかし、このことは日本の近代美術にとって必ずしも悪いことではなかったのではないか。

 アフリカの美術工芸がどんな状況なのか知るよしもないが、西洋の技法を学ぶより前に、容易なアートに味を占めてしまえば、もう堕落の道しか残っていないだろう。日本の絵画がフランスのモダニスムにもアメリカの抽象画にも飲み込まれずにいたのは、おそらくは日本画と洋画という二重構造にあったのだろうし、日本的な美的感覚というものが、日本画ばかりではなく洋画に生きているのも同じ理由だと思えるのだ。

 アフリカ・リミックス展はおそらく日本の近代美術を見直すよい機会となるだろう。
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2006.07.01[Sat] Post 20:33  CO:0  TB:0  美術展評  Top▲

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