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もとは美術展評のブログ 絵画と映画と小説と、そして哲学を少々

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自分はどちらかというと科学畑の人間だし哲学の領域に片足突っ込んだ美術学のことなんて全く知る由もないですが、一つだけ口添えするなら科学的には人間の視野で実際にピントが合っている部分はごく僅かで、それをカバーするために眼球(視線)は常にせわしなく動くことで広い範囲の断片情報を(ほとんど断続的に)獲得し、脳はその情報を基にいわば仮想現実的な視覚を作り出しているので、
三番目に引用なさっている古谷氏の言のようなことも起こりえなくはないんじゃーないでしょうか。

この説明がスーパーフラットの作品を見たときの何だかどんどん内側に視線が誘導されていく感じを表しているかどうかは実験したわけでもないので分かりませんが、個人的にはありうる解釈(仮説)の一つとしては興味深いと感じました。

最初にも書いたように自分は村上隆の芸術性がどうとかはなんにも分からないので気分を害すようなことがあったら申し訳ありません。では。
2009.10.17[Sat]  投稿者:torisugari  編集  Top▲

Re: No Subject

通りすがりさん もちろん様々な錯視があります。ピントの問題はたぶん「注意と地平」の問題だとおもいます。二本の親指が一本の親指が動いて見える現象と、踏切の二つの赤ランプの点滅が動いて見える現象を比べて見れば、両者の間に違いがあることに気づくでしょう。

親指二本に同時に注意をむけることはできませんが、片方に注意を向けたときに、もう片方も地平のなかに非顕在的に把握されています。また、二本の指の間をぼんやり見ることで二本の指を同時に非顕在的に捉えることもできます。もちろん空間的な地平だけではなく、時間的地平もあります。運動というのは時間的な現象なのですから。でも、これらは図像主題のイリュージョンとは別なものなのです。
2009.10.20[Tue]  投稿者:安積桂  編集  Top▲

Re: Re: No Subject

> 通りすがりさん たぶん網膜像が平面的で左右が異なり、様々に変化しているのに、外界はバラバラにならず三次元で静止して見えるのは眼球や身体の運動感覚を脳が処理している。これは進化論的な適応だということは、自然科学的には正しいでしょう。
2009.10.20[Tue]  投稿者:安積桂  編集  Top▲

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古谷利裕の「村上隆論」(グリーンバーグ1) 

このところ政治の話題ばかり取り上げているけれど、美術のことをほったらかしにしているわけではない。グリーンバーグの”The Collected Essays and Criticism”4巻をアマゾンで買って積んであるのだ。それを拾い読みしているのだが、ますますグリーンバーグのフォーマリズムが「絵画の三層構造」に基づいているという確信を得た。キャンバスの平面と形が「物理的図像」に、浅い奥行きや目で見るだけの空間が「図像客観」に、深い奥行きや歩いて入れる空間、そしてrepresentationが「図像主題」にほぼ対応している。

じつは2chの書き込み(注1)で批判されていた古谷利裕氏の評論『セザンヌと村上隆とを同時に観ること』(Web CRITIQUE)の批判を書き始めたのだけれど、途中でばかばかしくなって放り出してあるのだ。なにしろ村上隆とセザンヌが近代絵画的に共通の感覚があるというのだから、2ちゃんねらーでなくともあきれてしまう。知覚心理学と文学的レトリックで、いたずらに人を驚かそうとしているだけではないか。

光栄にもわたしのブログを古谷氏のブログと比べてくれたブロガーがいて、そのブロガーに言わせると、わたしのブログはつまらないそうだ。たしかに、わたしのブログがつまらないことは認めるけれど、少なくとも絵画を理解するには、古谷氏の修辞より役に立つと思う。以下、途中まで書いた「古谷利裕論」を(一部修正して)コピペしておく。


2chの書き込みで批判されていた古谷利裕氏の評論『セザンヌと村上隆とを同時に観ること』(Web CRITIQUE)を読む。まずは冒頭部分から。

村上隆の「DOB」シリーズの最も完成度の高い作品、例えば2001年に制作された『Melting DOB D』や『Melting DOB E』といった作品を観た時に、セザンヌやマティス、あるいはゴーキーやポロックといった画家の作品と共通する「感覚」を感じないとしたら、その人は絵画を「形式的」に観る能力に欠けているのだと思う。村上氏がそのことをどこまで意識しているのかは知らないが、これらの作品はたんにパロディとか観照とかを超えて「近代絵画」的に相当高度な作品だと思う。

「形式的」とか「近代絵画的」とか言われれば、だれもが、グリーンバーグ流の絵画分析を思い浮かべるが、古谷氏がフォーマリズムやモダニズムでなにを意味しているかはこれだけでは解らない。終わりの方にモダニズムの説明らしきものがあるので、途中を省略して、結論にとぶ。そこにはこうある。

 あらゆる要素が隠されることなく表面に曝されている平面でありながら、複雑に折り重なる複数の異なる次元がひしめき合っていることから、決して視覚によってその全体を一気に把握することができない平面。つまり「スーパーフラット」というコンセプトは新しくもなければ古くもない。それは「近代絵画」の基本的な要素の一つであるのだ。
               
村上隆の「スーパーフラット」は、近代絵画の基本的な要素の一つである平面性(フラットネス)のことだといっている。もちろん、村上氏自身もはじめからそう言っている。それなら、スーパーフラットはフラットとどこが違うか、結論部分を分解すると、以下の三つの点で異なるらしい。

1.あらゆる要素が隠されてることなく表面に曝されている平面である。
2.複雑に折り重なる複数の異なる次元がひきしめ合っている平面である。
3.しかし、視覚によってその全体を一気に把握することができない平面である。

隠されることなく曝されているのに、全体を一気に把握できないとは、意味不明である。これが、絵画鑑賞のときの視線の動きを意味するなら、われわれは全体をぼんやり見るか、部分に注意を向けるかどちらかしかできないのだから、なにもスーパーフラットに限ることではない。

都合が悪くなると「次元の違い」を持ち出すのは批評空間派の常套だが、古谷氏も持ち出す。ところが、古谷氏の「次元」は複雑に折り重なっていて、しかも、ひしめき合っているというのだ。折り重なって、ひしめき合っているなら、同じ次元ではないのか。

また、古谷氏は「同一平面上の複数の異なる次元」について、以下のように述べる。

我々の視線は絵を見ている限り常に動きつづけざるを得ないし、視線が動いている限りは(視線が動く度に)、空間を形づくっている「基底」そのものが小刻みに変化し、不安定に揺れ動き続けざるを得ない。

この説明がどんな知覚現象を説明しているのか、相変わらずハッキリとはしないが、たとえばゲシュタルト心理学の図と地の交替を思い出すが、図と地の交替は不安定な揺れ動きではなく、我々の注意の向け方にも左右されない一定間隔の交替なのだ。しかも、地と図が交替する図形ばかりか、交替しない図形もあるし、交替しにくい図形もある。交替しにくい図形を利用したのが「隠し絵」である。

古谷氏の上記の説明は、図形がちらちらと不安定に揺れ動くオップアートや、二本描かれた親指が、一本の親指が激しく動いているように見えるイラストなどにこそふさわしいだろう。しかし、この揺れ動きは、錯視の現象であり、グリーバーグの言う「平面とイリュージョンの弁証法的緊張」とはなんの関係もないことだ。

古谷氏はその「同一平面上の複数の次元」 がある絵画として、村上の『Melting DOB D』を例に上げて、これがたくさんの目がある顔にしか見えない者は、絵画を「形式的」に観る能力に欠けているという。

もし、近代絵画的な、「同一平面上の複数の次元」ということを理解しない人がこのような絵を描いたら、たんに目がたくさんある顔に見えるか、そうでなければ、目は「目」に見えず、顔にたくさんの発疹ができているようにしか見えないだろう。つまりこの作品は、非常に高度な近代絵画的な目によって制御されて描かれていると言えるのだ。

どうやらわたしは、絵を「形式的」に見る能力に欠けているようだ。わたしには『Melting DOB D』が大小の目や口がごたごた描かれた顔にしか見えない。いろんな顔が見えるのは、ただ知覚の地平の問題であり、注意の問題であって、次元の違いではない。(古谷氏が「次元の違い」で何を意味しているか明確ではないが)もし、グリーンバーグと関係があるとすれば、それはフォーマリズムではなく、おそらく「ホームレス・リプレゼンターション」の方だろう。

古谷氏は「だまし絵」や「隠し絵」と「同一平面上の複数の次元」と比べているが、「だまし絵」と「隠し絵」の違いを把握していないので、言っていることがちんぷんかんぷんになっている。「隠し絵」はすでに述べたようにゲシュタルト心理(地と図の反転など)を利用した絵であり、「だまし絵」は図像表象の階層性を利用した絵である。

だまし絵については「絵画の現象学」の理解に役立つので、少し詳しく述べておく。たとえば、「絵の中の絵」、「『パンを描いた絵②』を描いた絵①」があるとする。その絵に蝿が描いてある。するとその蝿は
1.絵②のパンにとまっている。
2.絵②の表面にとまっている。すなわち絵①のイリュージョン空間にいる。
3.絵①の表面にとまっている。すなわち絵画の物理的表面にとまっているように見える。
4.本物の蝿が絵①にとまっているのと間違える。
5.蝿の形をした黒いシミとしては、すべてのほかの絵具と同じようにキャンバス上の表面に塗られた絵の具である。(注2)
以上は蝿の角度や大きさや影の付き方によってかわってくる。また、額縁が描かれている場合はイリュージョンはより複雑になる。どのイリュージョン空間に属するか曖昧なことももちろんある。このイリュージョン空間の多層性、すなわち絵の中の絵、その絵の中の絵、さらにその絵の中の絵という具合に、理論的には無限に可能である。

「だまし絵」は5.のキャンバスという同一平面上に描かれたイリュージョンの多層性なのだから、「同一平面上の複数の次元」と似ている。しかし、これはイリュージョン空間の入れ子構造の多層性であって、次元の違いを持ち出す必要はない。。実際に『Melting DOB D』を見ても、絵の中の絵という構造はどこにもない。

以上で、古谷氏の村上隆解釈の検討はおわります。次回は古谷氏のセザンヌ解釈についてです。

つづく

注1:記事『2ちゃんねるの美術評論』参照
注2:谷川渥『だまし絵』参照


2009.03.07[Sat] Post 23:24  CO:3  TB:0  -グリーンバーグ  Top▲

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自分はどちらかというと科学畑の人間だし哲学の領域に片足突っ込んだ美術学のことなんて全く知る由もないですが、一つだけ口添えするなら科学的には人間の視野で実際にピントが合っている部分はごく僅かで、それをカバーするために眼球(視線)は常にせわしなく動くことで広い範囲の断片情報を(ほとんど断続的に)獲得し、脳はその情報を基にいわば仮想現実的な視覚を作り出しているので、
三番目に引用なさっている古谷氏の言のようなことも起こりえなくはないんじゃーないでしょうか。

この説明がスーパーフラットの作品を見たときの何だかどんどん内側に視線が誘導されていく感じを表しているかどうかは実験したわけでもないので分かりませんが、個人的にはありうる解釈(仮説)の一つとしては興味深いと感じました。

最初にも書いたように自分は村上隆の芸術性がどうとかはなんにも分からないので気分を害すようなことがあったら申し訳ありません。では。
2009.10.17[Sat]  投稿者:torisugari  編集  Top▲

Re: No Subject

通りすがりさん もちろん様々な錯視があります。ピントの問題はたぶん「注意と地平」の問題だとおもいます。二本の親指が一本の親指が動いて見える現象と、踏切の二つの赤ランプの点滅が動いて見える現象を比べて見れば、両者の間に違いがあることに気づくでしょう。

親指二本に同時に注意をむけることはできませんが、片方に注意を向けたときに、もう片方も地平のなかに非顕在的に把握されています。また、二本の指の間をぼんやり見ることで二本の指を同時に非顕在的に捉えることもできます。もちろん空間的な地平だけではなく、時間的地平もあります。運動というのは時間的な現象なのですから。でも、これらは図像主題のイリュージョンとは別なものなのです。
2009.10.20[Tue]  投稿者:安積桂  編集  Top▲

Re: Re: No Subject

> 通りすがりさん たぶん網膜像が平面的で左右が異なり、様々に変化しているのに、外界はバラバラにならず三次元で静止して見えるのは眼球や身体の運動感覚を脳が処理している。これは進化論的な適応だということは、自然科学的には正しいでしょう。
2009.10.20[Tue]  投稿者:安積桂  編集  Top▲

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