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ヨロヨロン 束芋展(原美術館)★☆

 

アート度{3}:アートだからつまらないのか、つまらないからアートなのか。インスタレーションも新鮮さがない。
目立つ度{2}:どれもみたことがあるようなきがする。
コピー度{5}:ビデオもDVDもコピー自由です。
美術度{2}:素描あるいはペン画は上手です。
おしゃれ度{2}:どうでしょう?
絵描き度{0}:アーティストです。
大家度{2}:若い割には相当惚けている。*
 原美術館は注意をしないと、とんでもないものを見せられる。現代美術のコレクションで有名らしいのだが、いったい運営はどうなっているのだろう。

 束芋の唯一の傑作は束芋とういう名前だろう。
 とにかく、これほど分かりやすい展覧会(アート・ショウ)は見たことだがない。会場に入って最初に見せられるビデオ・インスタレーション『にっぽんの台所』は古いギャグ(?)の連続で、仕舞いに、それをまじめに見ている自分が恥ずかしくなるぐらいだ。天から雨ではなく人が降ってくるとか、(「午後、ところによっては中学生が降ります」という天気予報がなお恥ずかしい)リストラにあった亭主の首を切って総菜にするとか、もう何度も繰りかえされたギャグで、主婦(にっぽんの主婦)がそんなことは当たり前だと夕餉の支度をしているところが不気味と言いたいのだろうが、こんな不気味さは、だいぶ昔からジャパニーズ漫画ではありふれたものになっている。
 インスタレーションも日本の座敷を立体遠近法で
 http://petapetahirahira.blog50.fc2.com/blog-entry-24.html#more作ってあるのだが、これは見物人が実際にそこにいるようなイリュージョンを生み出すためだろうが、それがいったいどうしたというのかわからない。図像というのは錯覚とは違うのであり、たとえば蝋人形を人間かと錯覚するのはあくまでも知覚であり図像ではない。図像とは観者の身体空間とは切り離された図像空間であり、知覚空間でも想像空間でもないのだ。図像空間は知覚に基づいてはいるが知覚そのもではない中和変容をこうむった独自の空間なのだ。
 たとえば、上から見た波のアニメーション『真夜中の海』は、吹き抜けになった二階の天井からプロジェクターで一階の床に映し、それを二階の窓から見るというインスタレーションだが、いったい、いつからゲイジュツがジオラマになったのか。いくら上から見た波だからといって、じっさいに上から眺める必要がどこにあるのだろう。図像空間は観者の身体空間とは独立しているのだから、正面から見さえすれば、床に置いても壁に掛けてもいいのだけれど、わざわざそうしたのはジオラマを作るつもりだったとは思えない。おそらく、「壁に掛けた四角い平面」ではないアートをつくるつもりなのだろう。
 いずれにしろその仕掛けは陳腐なもので、『公衆便女』では、いきなり入り口の方から足音が聞こえ、誰かが入ってきたのではと驚いた。もっとも公衆便所に入ってきたのではなく、インスタレーション空間に見物人が入ってきたとおもったので、いっそう驚いた。
 それはともかく、その内容は『にっぽんの台所』に輪をかけてひどいもので、西欧人のステレオタイプ化された『にっぽん』のイメージであり、日常性と非日常性と言いたいのだろうが、そんな批評性など皆無であり、じつは、自分はにっぽんの外側にいて、西欧人に媚びているだけにしかみえない。
 終わりのほうで「便所の落書き」がアップのパンで映し出されるのだが、これがほとんど漢字あるいは漢字らしきもので、日本語の知らない外国人に、おそらくそう見えるだろう日本語になっている。これを媚びると言わずに何を媚びるというのだろう。
 これはあたらしいジャポニスムなのだろうか、タカノ綾にもそれらしきところがあるが、まだまだ無邪気なところがあって、不愉快ではないが、束芋には「無感動無関心」という偽の批評性があるだけ一層不愉快である。
 それから付け加えておけば、手を描いたシリーズがあるが、町田久美の手と比べてみれば、いかに、束芋がつまらないか分かるだろう。たしかに手は自分とは別の無気味な生き物なのだが、束芋の手のシリーズは、薬物中毒患者の幻覚でしかないのだ。

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2006.06.20[Tue] Post 23:33  CO:0  TB:0  美術展評  Top▲

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