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もとは美術展評のブログ 絵画と映画と小説と、そして哲学を少々

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丸山直文

『丸山直文  後ろの正面』展(目黒区美術館)

一階のエントランスにあった《island of mirror》と《garden3》は面白かったが、似顔絵や二階の具象画はつまらなかった。そして、さいごの部屋の抽象画(?)はわたしには理解不能だった。

最初の二枚のおもしろさは、滲みを巧みに使ったイラストのおもしろさだ。《island of mirror》は、現実の島と水面に映った島とが、おなじようにボケている。他方、人物は両方ともクッキリと描いてある。《garden3》を見れば、ボケの効果がよく分かる。ここでも、人物は小さく、ハッキリと描かれ、反対に、植え込みと草(樹木)の影は滲んでいる。人間は大きさの基準だけれど、影の滲みは、もともと滲みのある影によけいにリアリティーを与え、人物をアリのように小さく見せてしまう。もちろん、依然として人間は万物の尺度なのだから、人間は人間の大きさに見える。そこのところが『ガリバー旅行記』の挿絵と違ったおもしろさを生んでいる。

ボケや滲みは事物のリアリティーを希薄にするかわりに、表面的な本当らしさを強調する。そのことは丸山の滲んだ似顔絵によく現れている。似顔絵は特徴を誇張して描けば漫画になる、しかし、それを滲ませてかけば芸術っぽくになる。滲みというのは通俗的な技法に堕する危険が常にあるのだ。丸山氏の作品は、良くできた何枚かのイラスト風作品をのぞいて、ほとんどは駄作である。

椹木野衣氏が、カタログの解説のなかで、丸山の絵画はステイニングではなく、東洋の水墨画を連想させる滲み、暈かしであると言っているのは正しい。ところが、せっかく的確な指摘をしたのに、椹木氏は例によってポストモダン風のレトリックに迷い込んでしまう。椹木氏が哲学的な衣装をまとうなら、もう一人の解説者の保坂健二朗氏は「丸山の絵を見るときに必要なのは、美術史ではなく、美学であると。」ゲーノルト・ベーメの『雰囲気の美学』をもちだす。

暈けているから記憶(椹木)だとか、滲んでいるから雰囲気(保坂)だとか、だじゃれみたいなことを言っててどうするんだろ。それから、椹木氏は「ポストペインター・アブストラクション」と書いているけれど、「ペインター」は「ペインタリー」の間違いだろう。painterlyはヴェルフリンのmalerisch(絵画的)を英語に訳したもので、形容詞でなければならない。それが「画家」では意味が通じないだろう。誤植かもしれないが、素人の私でも気持ちがわるいのだから、また、誰かさんにいちゃもんつけられますよ。
2008.12.03[Wed] Post 23:52  CO:0  TB:0  -丸山直文  Top▲

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