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『ヴィルヘルム・ハンマースホイ 静かなる詩情展』(国立西洋美術館)

予想どおりの絵だった。といってもつまらなかったという意味ではない。思った通り感動し、思った通り面白かったという意味だ。室内画ということで、十七世紀オランダのフェルメールと二十世紀アメリカのホッパーと並べるとそれぞれの時代と社会を表していて面白い。光と人物の描き方にも、それぞれのやり方で「写真的なるもの」の影響があるようだ。

三人の絵にはそれぞれに物語や雰囲気がある。ハンマースホイは北欧の象徴主義の作家だという。しかし、この象徴主義というのがわからない。心の内面や精神を表すのが象徴主義だというなら、表現主義だって心の内面を表している。

美学や美術史の本を読めば、いろいろ説明してあるが、何度読んでもわからない。それが絵画だけではなく文学や音楽を含めた党派的な芸術運動らしいことはおぼろげに理解できる。しかし、アナログ記号である絵画について述べようとすれば、とたんに話は難しくなる。

同じ人間の内面を表すにしても、表現主義は激しい感情を激しい色彩や形態で表現するのにたいして、象徴主義はもっと間接的な手段で人間の精神性を暗示すると言われても、イヴ・クラインのブルーは象徴主義で、ロスコの赤茶は表現主義だとは、すぐにはがってんがいかない。

ニューマンの「ジップ絵画」は崇高を表しているという。これは象徴主義なのか表現主義なのか。カントによれば、崇高とは自然の対象の中にあるのではなく、われわれの心の中にあるという。そうであるなら、具象画であれ、抽象画であれ、感情や精神や超越的なものを象徴したり表現することは出来るということだ。

ハンマースホイの静謐な室内には神が棲んでいる。と言うことはできる。しかし、これはレトリックにすぎない。絵画の真理は、絵画が表現するものや象徴するものの中にあるのではなく、物理的絵画の中に、色や線や形のなかに現れてくるのだ。そう思って、フェルメールとハンマースホイとホッパーの三人の室内画を比べて見れば、また違う絵画の楽しみを発見できるだろう。
2008.11.16[Sun] Post 00:58  CO:0  TB:0  -ヴィルヘルム・ハンマースホイ  Top▲

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