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『ノーカントリー』★★★★☆

 アカデミー賞4部門を受賞したコーエン兄弟監督の新作である。コーエン兄弟の作品は他に『バートン・フィンク』と『ファーゴ』と『バーバー』を見ている。『オー・ブラザー!』も見たが、映画マニア向きの仕掛けがいっぱいあって私には疲れるばかりでおもしろくはなかった。しかし、『ノーカントリー』は『バーバー』にひけをとらない秀作である。

Googleで検索したら、前田有一の「超映画評」町山智浩の「アメリカ日記」をみつけた。町山智浩は柳下毅一郎との対談本『映画欠席裁判3』をアマゾンで買って読んだ。B級っぽい映画の雑学蘊蓄裏話をするのだが、映画への愛はとても淀川長治にかなわない。

原題は”No Country for Old Man"なのだが、町山智浩はこれがイェーツ(1865~1939年)の詩「ビザンチウムへの船出」の冒頭の引用だという。「そして、タイトルがイェイツの詩だとすれば、結末のトミー・リー・ジョーンズ(老保安官)の夢も、生と死を象徴した有名な詩を暗示していると思えてくる。」と言い、コーマック・マッカーシーの「血と暴力の国」から引用する。さらに、それだけじゃすまない。夢のなかにでてくる「雪の山道を馬で進む情景からアメリカ人が真っ先に連想するのは、アメリカ人に最も愛された詩人ロバート・フロスト(1874~1963年)の最も有名な詩『雪の夕べ、森のそばに佇みて Stopping by Woods on a Snowy Evening』なのだ」そうだ。教養のあること。

たしかに近頃の不条理な犯罪についていけなくなった老保安官の心境を描いているには違いないのだが、それを詩や小説の引用によって説明解釈するのは、映画の面白さを台無しにしてしまわないか。それに、映画の最後で保安官が引退の決意を妻に伝えるところで、夢の話をするのだが、そこが何ともこの映画の最大の欠陥になっている。夢が出てくる映画はたくさんあるけれど、夢が言葉で伝えられようが映像で示されようが、たいていはうまくいかない。たとえば『田舎の日曜日』や『野いちご』のように主人公が自分の死の夢をみるのは、とくに解釈の必要もないけれど、そうではなく、なにか象徴的な夢の話をされると、それがたとえありきたりの夢であっても、解釈しなければならなくなり、むりやりなぞなぞを出されてようで困惑する。

町山氏が書いていることは、たぶん監督や脚本家が意図したことなのだろう。たしかに、老保安官がこの映画の主人公ではあるのだが、それは、一種の枠物語であり、この映画の主人公は殺人者のシガーである。その視点からこの映画の面白さを伝えてくれるのは、もう一人の評論家前田有一だ。前田氏がコーエン監督の映画が初めての人には、この映画の面白さは分からないかもしれないというが、前田氏の「超映画評」を読んでおけば、きっとコーエン初心者にも楽しめると思う。

最初はシガーの異常な振る舞いに嫌悪を感じていたが、しだいにその不気味さに惹きつけられていった。ガソリンスタンドで亭主にいちゃもんをつけて、相手にコインの裏表を選ばせて、殺すかどうか決めるのだが、このあたりのふたりのやりとりはヒチコックを超えている。殺人者は店を何時に閉めるか、何時に寝るかを亭主に尋ねて、殺意を示すのだ。亭主の恐怖感が迫ってくる。

この不気味な恐怖感が、最後の殺人で浄化される。金を横取りした男の女房を殺しに来たシガーは、いつものように、コイン投げで決めようと提案するが、女房は拒絶する。ひょっとしたら助かる可能性があるのに、 女は「殺すか殺さないか決めるのはあなただわ」というのだ。この瞬間、それまで私の心を押さえつけていた恐怖が消えて、あとは落ち着いた気持ちで、最後までみた。

『ノーカントリー』は、主人公が同じトミー・リー・ジョーンズということもあるが『メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬』を思い出させる。いろいろ比較すると面白いと思うのだが、一つだけいうと、『ノーカントリー』も『メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬』も西部劇のオマージュだということだ。、『ノーカントリー』でいえば、モスが狩りにいって、丘の上から下に車が数台散らばって見えるところは、だれだってインディアンに襲われた駅馬車のシーンを思い出す。また、保安官の親子が馬にのって、車のタイヤの跡を見つけるところも、もちろん西部劇だ。

もう一度見直せば、書くことはたくさんありそうだが、そんな暇はない。どうぞ、二つの映画を見てください。それにしても、いつから西部劇というジャンルがなくなったのだろう。たぶん人種問題のせいだろう。小学生のころ、西部劇が好きなクラスメイトがいて、封切りの映画の話を休時間にみんなで囲んで聞いたっけ。あれからすでに半世紀がたった。「西部劇」ということばを聞くだけでなつかしい。

 


2008.10.07[Tue] Post 21:24  CO:0  TB:0  映画  Top▲

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