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椹木野衣(2)

椹木野衣の『黒い太陽と赤いカニ』を図書館で見つけた。椹木氏の「ナカグロ的思考」を確かめるために借りて読んでみた。ナカグロ的思考というのは、椹木氏が『日本・現代・美術』のタイトルのように複合名詞をナカグロで区切って、日本にはアメリカやヨーロッパ、現代には冷戦やバブル、戦前戦後、そして美術には政治や経済や風俗流行などを対比させながら、それなりに読ませるレトリックを展開するけれど、結局、作品については何も言わない美術評論のことを揶揄したつもりの言葉だ。

ところが、藤枝晃雄が椹木氏の『黒い太陽と赤いカニ』の抽象表現主義の二元論的解釈を批判するさいに、抽象表現主義を「『抽象・表現』主義」とナカグロをつかって表記している。藤枝氏が抽象表現主義をAbstract Expressionismではなく、Abstraction Expressionismとする間違った二元論的見方を示すために、ナカグロを使ったのか、それとも椹木氏自信が、抽象を幾何学的抽象に、表現をシュルレアリスムに置き換えて、それが岡本太郎の合理非合理の「対極主義」と重なることをあらわすために、ナカグロを使ったのか、『黒い太陽と赤いカニ』を読んでいないので判らなかった。それで読んでみようと思ったのだ。

読んでみたら、すぐに見つかった。第五章「『コジェーヴの日本』への挑戦」の〈抽象表現主義〉の節に「抽象・表現」主義というナカグロ表現があった。そこを引用する。

それが「抽象・表現」主義と呼ばれるのは、彼らに(抽象表現主義者たち:安積)よって、戦前にヨーロッパで確立され、大きな成果を挙げながら、いっこうに接点を持たず、たがいに無関係とされてきたふたつの潮流である「抽象芸術」と「シュールレアリスム」が、ひとつの画面のなかで統合され、共存しているという理由による。

椹木氏は、アメリカの「抽象表現主義」を、なんの説明もなく、岡本太郎の「対極主義」と比較し、表現主義をシュールリアリズムに置き換えて、両者は矛盾すると言うのだ。だから抽象と表現が共存する「抽象・表現」主義は間違っており、両者が対立し爆発する「対極主義」がふさわしいという。

抽象芸術は、創作の根拠を自己の内面世界におくことをやめ、人間中心主義によらない、より普遍的な構成原理を発見しようとする過程で生み出されたものだし、他方のシュールレアリスムはといえば、まったく反対に、人間の無意識世界に深く沈潜し、そこに浮かび上がる夢や記憶の流動体を、生のまま表出させようとするものにほかならない。その意味では「抽象表現主義」という名称そのものが、一種の矛盾なのだ。

この引用文は椹木野衣の典型的なレトリックを示している。ただ曖昧な文学的修辞を連ねて、あたかもふたつのものが対立しているかのように、擬似的な弁証法の装いをこらすのだ。こんなことが可能なのは、椹木氏が作品を見ないで、通俗的な芸術論や哲学の解説書を読むからだ。歴史上の美術運動と絵画作品を混同してはならない。

抽象絵画も、作者の主観的なものを表現する。カンディンスキーは音楽的なものを表そうとしたし、マレービッチは自己の芸術をシュプレマティスムと称して宗教的なものを表そうとした。抽象画の定義ははっきりとしていて、自然的対象がない絵のことだが、自然が描かれていなくても、情緒的なものを表現することはできる。イヴ・クラインのブルーが宇宙の神秘を表現し、ニューマンのジップは崇高を表現すると言っている。他方では、椹木氏のいうように人間中心主義を脱するような造形的な抽象画ももちろんある。

また、シュールレアリスムも具象的な主題で深層心理を表現するだけではなく、コラージュやオートマティスムで描いた抽象的な絵画で作家の無意識の内面を表現する画家もいる。また、アクション・ペインティングなども一種の表現主義的抽象画といえるだろう。具象的なシュールレアリスムもあるし、抽象的なシュールレアリスムもあるのだ。抽象主義と表現主義はかならずしも対立するものではない。

絵を見ると言うことは、絵画の三層構造、すなわち物理的図像、図像客観、図像主題の三層を見ることであり、この三層に基づいて表出される図像学的意味内容を見ることではない。患者が自由連想で描いた絵を医者が分析してもそれは美術評論とは言わない。(HP『図像の現象学』参照)

この本は、作品を見ないで、美術評論をどう書くかをしるには非常に役に立つ本だ。図書館に行くと文学者の書いた画家の伝記がたくさんあるが、あの類と思ってまちがいない。ただ、日本・現代・美術の知識がちりばめてあって、そのぶん得した気分になる。

伝記としては村上隆と藤田嗣治を掛け合わせたような評論になっている。椹木氏の方法論を理解するには、『シュミレーショニズム』や『日本・現代・美術』より、ネタバレ楽屋落ちがあったりして、こちらのほうが面白くて役にたつ。こういうアートの楽しみかたもあるのかと納得の一冊。美術愛好家必読の書です。

椹木野衣(1)へ

2008.09.13[Sat] Post 22:32  CO:0  TB:0  美術評論  Top▲

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